「アレクサンダー・テクニーク」カテゴリーアーカイブ

続・合気道 (飲み会編)

ここの道場では毎週、終わった後に先生を囲んで飲み会があるそうで、1週目は行けなかったけど2週目に行ってきました。今回は人数は少なくて7人でした。

先生は着替えて真っ赤なカーデガンを着ていて、それがとても似合ってました。

私を紹介してくれた人が、私がアレクサンダーをやっている、ということを先生やみんなに話していたみたいで、アレクサンダーのことを聞かれました。

アレクサンダーのことなどを言ったら、「えー、体の使い方を教えてるの? それで自分はどれくらいできるわけ?」みたいな目で見られたら困るしな、と思って、自分ではあまり言いたくなかったのですが、そういう心配は杞憂でした。

先生が自分の話をしていたとき、「今水泳を習っているんだけどね、『ほら、もっと力を抜いてください』って、何度も先生に言われて、『俺が陸で教えていることだよ!』と、内心思うんだよ!」と、ちょっと悔しそうに、でもなんとなく小気味良さそうでもあるような口調で、自分のことを話していました。

なんか、自分ができないことがあることを知ることを、楽しむことを知っている人という感じでした。

——

先生が、アレクサンダーの本も何冊か読んだことがあると言ったのには驚きました。

東洋の、「道」とつくようなものの道を究めた人って、ほかの方法論、ましてや西洋の方法論などにはわき目をふらず自分の道だけに興味をもって突き進むみたいな先入観があったので。

うれしい驚きでした。

「アレクサンダーでは心のことはなんて言っているの?」
と聞かれ、
「体と心はひとつのもので、分けられないと言っています」
と答えました。
なんだか、私自身、アレクサンダーの本質的だと思っているところを、真っ先に質問されてうれしかったです。

先生は続けて、
「そのあたりを、向こうの人はどこまで分かっているの?」
なんて、聞かれました。

先生も、その、「体と心は分けられない、ひとつのものだ」というへんを、伝えたい、という思いがあるそうです。
でもそれはやっぱり伝わる人となかなか伝わらない人に分かれてしまって、試行錯誤中、のようです。

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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合気道

こんにちは。
ひさしぶりに熱の出る風邪などをひいていました。
今はだいぶ経過して、治ってきました。

ときどき風邪をひくと、治った後、元気が出るような気がします。そして、どうせひくなら熱が出ちゃったほうが、ひき甲斐があるような気がする。

(以前、整体の先生が、「体力がないと熱は出ないんですよ。だから子どもはすぐ熱を出すけど、大人はなかなか熱を出さないんです。」と言ってました。)

体力出てきたかな、私?

—–

先週、合気道を初体験しに行きました。

アレクサンダー・テクニークの生徒さんが合気道をやっていて、いつも、いろいろおもしろい話を聞かせてくれるので、私もちょっと体験してみたくなったのです。

でも、われながら、自分と武道ほど似合わないものはないような気もするし、投げたり投げられたりするのは怖いし、だいぶ心配です。

でも、2週間前に見学したときに感じたのは、投げたり投げられたりしていて、派手な音がしているものの、見ていてきれいだな、ということです。ちょっとダンスみたいです。(コンタクト・インプロビゼーションというダンスに似ているかもしれません。)

そして、投げられてもすぐ起き上がってまた組み直して、と、時間中ずっと続けるのですが、みなさん涼しい顔をしていて、ハァハァ息を切らしたり、していないのがすごい。

自分ができるかわからないけど、できたらかっこいいかも、と、思いました。

参加の当日、
たくさんの人が集まる道場なので、先生に直接手ほどきをしてもらうことは、あまりできないのだけれど(それに、実はかなり偉い先生らしいです)、柔道の井上康生似の、有段者のTさんという方が、私が初心者だということで、一緒に組んでくださいました。

お互い、投げるほうも投げられるほうも、両方やるのです。
Tさんはけっこう大きい人で、Tさんを投げようと思うと、つい、腕の力で投げたくなるのですが、「腕は放っておいて」と言われます。

「投げようとしないで」
「なにもしない」
「ただ動けるほうへ動くだけ」
と言われます。
そのとおりにすると、あら不思議、Tさんのバランスが崩れて、Tさんが投げられちゃっているのです。

「自分を整える」
それにつきると言われました。

「なにもしない」「やろうとするのをやめる」「動けるほうへ動くだけ」「自分を整える」
まさにアレクサンダー・テクニークです。

—–

しかし、もっと難しいのは「受け」のほう=投げられるほうです。

投げられるときの型があって、後ろに転がる「後ろ受け身」か、前に一回転する「前受け身」を、教えてもらいました。

でも、技をかけられてとっさに首を硬くしないでうまく転がるのは難しく、後で首が痛くなりました。

(2週目には、はじまる前にTさんがもう一回「受け」の
練習相手になってくださったこともあり、だいぶ「受け」が上手になりました。別の人にも、相手の技の速さに惑わされず、自分のペースでゆっくり受けをとればいい、とアドバイスされたのもよかったです。)

—–

でも、見てるとすごく大変そうに見えるけれど、やってみると、上手くできているかどうかは置いておいて、体力的、運動能力的についていけない、とかいうことはなく、途中でリタイアしたりせずみんなと一緒にできたのは予想外でうれしかったです。

きっと合気道というのは機能的にできていて、またここの道場の人たちが無理なく「自分を、お互いを整えよう」とする合気道を追求しているんだろうな、と思いました。

男性も女性も、老いも若きも、混ざってお互いに組んでできるところも、合気道のいいところだな。

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技術力―サッカー世界のスタープレーヤー

技術力―サッカー世界のスタープレーヤー
2005
出版芸術社
西部 謙司

http://www.amazon.co.jp/dp/4882932733/

言葉にならないことを言葉にするというのは、うまくハマるとほんとうに面白い!

サッカーの現在の世界のスタープレーヤーの持つ技術を一人一人、言葉だけで描いた本。写真もイラストも全くなく、ポートレイトの絵が何枚かあるだけ。

04-05年に活躍した選手が中心なので、名前と顔はだいたい知っているが、どんな技術を持っているかまでは、そんなにディープなファンではない私はよく知らない人が多い。それに私はサッカーをプレイしないので体験的にもわからない。それなのに、読んでなんでこんなにおもしろいのか不思議。

著者自身も、戦術のように、意図があってそうする、ということのほうが言葉にしやすい、と言っている。「それが技術となると、言葉を重ねれば重ねるほど本質から遠ざかっていく」。でも技術について語るのは単純に楽しいのだ、という理由で書いた本のようだ。

その楽しさは伝染したみたいだ。

—–

ロナウドの項で、
人間の考えるスピードは体が動くより圧倒的に速い。なので、ストライカーは、自分の動きが遅く感じて、つい焦りが出て、打ち急いでベストフォームでない状態で蹴ってしまい失敗してしまう。でもロナウドはそういう打ち急ぎの失敗が少ない。想像するに、ロナウドのこの落ち着きぶりは、筋肉の反応速度の遅さからきているのではないだろうか。またロナウドは、「自分が遅い」という感覚が少ないのではないだろうか?

というところは、アレクサンダー・テクニーク的で興味深かった。

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エヴァンジェリンのATと音楽

週末、ニューヨークから来日中の、エヴァンジェリン先生のワークショップにまた行ってきました。
ニューヨーク・フィルの現役チェリストで、アレクサンダー・テクニーク教師の人です。ニューヨークフィルの団員や、ユース団員の人たちを中心にアレクサンダーを教え、演奏をしている人です。

今回、エヴァンジェリンに会ってよかったことは、アレクサンダー・テクニークは手段であって目的じゃないんだな、ということをあらためて思い出させられたことです。

彼女のミュージシャンへのワークを観ていて、ミュージシャンにとって一番大事なのはいい演奏をすることで、彼女の一番の興味もそこにある、ということがよくわかる。

だから、と言ったら乱暴かもしれないけど、アレクサンダー・テクニークのワークとして観れば、けっこう単純化したワークだなあと思うところもあったし、荒っぽいワークなのです。
アレクサンダーのワークの持ち味の繊細さは、そこにはなかった。(いいすぎかな? エヴァンジェリンのダイレクトなしゃべりかたがうつったかも)

でも、この場合、それはそれでいい、と思った。

もちろん、時間をかけて回数をかさねてアレクサンダー・テクニークのレッスンをすれば、より深いところや、繊細なレベルで変化が起こったりするだろう。

でも、単純な原理として役に立つことを2、3、覚えておいて、あとは演奏のなかで応用しながら、いろいろ発見していく、という方法もある。

エヴァンジェリンは、原則的なところは、シンプルに済ませて、実際の音楽があらわれてくるのをサポートするような仕事に時間を割きたい、と思っている感じだった。そしてその仕事は、アレクサンダー・テクニーク教師としてというよりも、音楽家として彼女ができることなのだ。

ミュージシャンに音楽的なアドバイスをして、そのミュージシャンらしい音楽が出てきたときのワークはすばらしかったな。

——

私なんかは今、アレクサンダー・テクニークを教えることが仕事になってて、今のところ他に仕事はないのだけど、ひとつのことを仕事にすることの落とし穴ってあると思う。

そのことを、極めたい、と思うこと。

それはもちろん悪いことじゃないけど、それで本末転倒になって何が大事かわからなくなる、という落とし穴はある。

専門家、ということの落とし穴かな。

——

ほかに仕事もないから、私も人からみたら、専門家のはしくれに見えるかもしれないけど、いつもはじめたときのような気持ちでいたいし、私が知らないこと、できないことへの敬意はいつももっていたいな。

知らないことや、できないことに出会ったとき、それを「知らなきゃ」とか「できなきゃ」とか思う前に、知らないこと、できないこと自体をたのしむ余裕を、新しいことを教わっている時間自体をたのしむ余裕を、できるだけもっていられたらいいな。

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「意到気到」

週末には座間晶子さんと、太極拳とアレクサンダー・テクニークのワークショップをやりました。
しょうこさん、いらしてくださった方、ありがとうございます。
楽しい時間を過ごすことができ、また、いろいろと学ぶことも多かったです。また後ほど、詳細をアップしたいと思います。
書きたいことがいっぱいあるので!!

——-

月曜には、ニューヨークフィルの現役チェロ奏者で、アレクサンダー・テクニーク教師であるエヴァンジェリンさんのレッスンと、レッスン通訳に行ってきました。
たぶん67歳ぐらいなんだけど、40代ぐらいにも見える女性です。とても張りのある声をしています。飾らない人柄で、気さくな人でした。

アレクサンダー・テクニークは、「思い」と「からだ」のつなげ方、ということもできると思うんだけど、

(太極拳でも「意到気到(イーダオ・チーダオ)という、似たような意味の言葉があると、しょうこさんが教えてくれました。)

(この場合の「からだ」というのは、物質としてのからだだけじゃなくて、どう動くかとか、いろんなことを含めてね。
太極拳ではもちろんそうだけど、アレクサンダー・テクニークでそういうときにも、じつは気のうごきもたぶんふくまれるんじゃないかな?)

エヴァンジェリンのレッスンのなかでは、

「実際に演奏する前に演奏したいメロディーや、リズムを、頭のなかで鳴らすこと、それが、演奏のダイレクション/方向づけるもので、thinkingなんだ、だからやっぱりthinkingがまず第一なんだ」

ということが出てきて、やっぱり共通して「思い」は大事なんだな、まず「思い」ありきなんだな、と、あらためて確認しました。

(うまく演奏できるかどうかが気になっているときほど、それを忘れがちになっちゃうんだよな。)

(そしてアレクサンダー・テクニークを教えたり実践したりするときも、体の使い方だけに注意がいきすぎちゃうときは、そういうところにはまっちゃってるんだろうな。)

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治さない、治せない

「アレクサンダー・テクニークは治療ではない」と、よく言う。
実際治療じゃないし、私はその治療じゃないというところが好きなんです。

でも、ワークすることで、症状がよくなったりする場合がある。

それは施した術の結果ではなくて、本来あるべき姿が取り戻ってきたからだったり、その人のなかで、いろんな要素がより統合されたからであったり、余分な努力や不必要な力を手放すことができたからだったり、ということなわけです。

レッスンはそのきっかけになる刺激だったり、情報提供だったり、交通整理だったりにすぎないんだと思います。

でも、症状がよくなることを期待して「早くよくなれよくなれ」と思いすぎると全然よくならなかったりする。

「よくなりたい」という思いからもちょっと離れて、まずは症状と共存しようというぐらいのところにいるほうが、少しづつ変わっていきやすいようです。

* * * * *

さて「治療じゃない」ということについてですが、最近、アレクサンダー・テクニークとかだけじゃなく、医療に携わる人も、「治さない」ということを掲げる人があちこちで出てきているようなのです。

最近では、がんの医療に携わる人がそう言っていたのを読んだり、
あと、「べてるの家」という、精神病の人たちが集まるグループホームと病院の連携の本にも、「治さない、治せない医者」をモットーにしているお医者さんが出てきました。

この「べてるの家」の本
安心して絶望できる人生』(NHK出版 生活人新書)
には、すごく、はっとさせられることがたくさん書いてあるのですが、この「治さない」というのもその一つです。
結局、専門家といえども他人がその人を「治してあげられるはず」「治せなければいけない」と思うのは、やっぱり思い上がりなのかもしれないな、と、思います。

ここに出てくる人たちは、「治せない」ということを覚悟していることで、なんだか、起こっていることについての畏怖の念みたいなのを排除していないように見えます。

たとえば幻聴に悩まされている人たちが、幻聴を「幻聴さん」と呼ぶようになって、幻聴さんとの付き合い方を学んでいく。幻聴さんを乱暴に扱ったりしないで、たとえば、「今はすることがあるので、帰ってください」とか、幻聴さんにていねいに話しかける。。

それと、病気の当事者が自分の病名を自分でつけたり、

(いろんなユニークな名前がありました。
「人間アレルギー症候群」とか、
「魔性の女系人格障害見捨てられ不安タイプ」とか、
「統合失調症爆発型救急車多乗タイプ」とか。。)

自分の病気を、他人の目ではなく、自分の実感で把握していくプロセスが大事にされている。そして、「当事者研究」とかいって、同じような病気をもった人同士で、自分の苦労をわかちあい、どうすればいいか実験し、研究していくことが大事にされているのです。

そういうことを、ここのリーダー的存在の、ソーシャルワーカーの向谷地生良さんは、「本来の自分らしい苦労を取り戻す」と表現しています。

専門家や、薬の助けも借りるけど、頼りきりになるのではなく、まずは自分のするべき苦労をする、そうできる場がある。

そういう場では、なんだか、病気なのにみんな生き生きしていて、病気なのに病んでいない、そんな感じがしました。

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ボストン滞在記 ”言葉だけじゃないダイアログ”

さっき、この旅の最後の授業が終わりました。ケンブリッジ(ボストン近郊)のトミー・トンプソンのアレクサンダー・テクニークの教師養成学校の授業です。

短いあいだだったけれど、とても充実していました。学んだことが自分の身になるまでは、これから家に帰ってからいろいろ探求が必要だと思うので、時間がかかりそうだけど、楽しみです。

今、トミーの学校は、人数が少なくて、私のほかに学生は4人だけなので、ちょうどよいサイズです。

そしてさらに、曜日によって、アシスタントの先生が来てくれるので、充実してます。デビ・アダムスという小柄な女性の先生と、ボブ・レーダというお腹の出てる男の先生と、シンガーだけど文章もうまく頭のきれるアンドレア(彼女はこの学校の先生には珍しく、いわゆる”学校の教師”っぽいネイチャーの人みたいです)が、週に1回づつ来てくれます(アンドレアは2~3週に1回かも?)。

午後は、個人レッスンです。学生にボランティア生徒になってもらって、ワークするところを集中的に見てもらうのをやりました。自分の癖がよくわかってよかったです。

——–

アレクサンダー・テクニークの学校はたくさんあるけど私がこの学校が、遠いし授業料が高いにもかかわらず好きなのは、この学校の教え方も、チェアワークやテーブルワークの「型」をもっているようでいて、「型」に「はまる」ことはけして奨励されないことです。

(ちなみに、型のあるワークだけでなく、生徒が何でもやりたいことを持ってきて、それをやるワーク~アクティビティも、やります。)

もちろん学び始めは教えてもらった通りにやってかまわないのだけれど、教えられた通りにやっているときでも、自分を観ることと同時に、いかに相手からのフィードバックを聞いているか(言葉でだけじゃなく、黙ってワークしているときでも、手とか、身体感覚をとおして聞くことができる)、それがすごく大事にされているのです。

相手のことを忘れて、自分が「うまくできているかどうか」に気がいっていたりすると、私が何も言わなくても先生にはそれがわかって、「相手から聞くんだよ」と、言われます。また、相手を「もう少しこういう方向にいけばよさそう」と、変えようとしちゃっているときにも、「相手から聞くんだよ」と、言われます。

とてもいい訓練になります。(いや、訓練というと堅苦しいイメージだけど、もっと、瞑想的な感じかな。自分が今ここにいる感覚が、はっきりしてくる感じです。)

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そんなふうにしてお互いワークするのですが、生徒役になってワークされているとわかるけど、そういうような態度でワークしてもらうと、自分のなかから自然に、ひらいてくるものがあったりするのが、実感できます。

それは、先生に何かしてもらっている、という、受け身の感覚とは全然違うのです。

そしてなにかの拍子に押し付けの要素が入ったりすると、それも、ぜんぜん違う感じとして、はっきりわかっちゃいます。

しかしほんとに、押し付けの要素、って、気をつけないとすぐ入ってきてしまいます。瞬間瞬間に気づきを持っていることが、もとめられています。

日本でワークしていたときも、気をつけているつもりで、押し付けの要素がずいぶん入ってしまっていたなあ、と、反省です。。。。。

——

まあでもとにかく、ここの学校で、英語がおぼつかなくてコミュニケーションが多少不自由でも何でも、いまいる自分が尊重されていることを感じて、相手の人を尊重することも学んでいる感じで、それがうれしいです。

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ボストンでのアレクサンダー・テクニーク:カテゴリー一覧

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水泳とアレクサンダー・テクニーク ”The Art of Swimming”

今、ワシントンDCの近郊の町に来ています。きのうと今日,ここで、アート・オブ・ スイミング という、アレクサンダー テクニークの考え方でスイミングを習うというワークショップがあったのです。スティーヴン・ショウSteven Shaw)さんという、元競泳の選手で,アレクサンダー テクニークの資格をもつ水泳の先生が,教えてくれました.ショウさんは、イギリス人なのですが,ちょうど今,アメリカに来ているのです。

(もともと日本語入力ができない宿のパソコンで書いてあるので,うまく変換できない言葉があって,読みにくくてごめんなさい。http://chasen.org/ というところの、Ajax IME というのを使って書いてます.これ,外国に行かれる方には、なかなか便利ですよ!)

このショウさんのメソッド(Steven Shaw Method)のことは、水泳教師の生徒さんに,以前,ビデオを見せていただいて,それを見ただけで,泳ぐのが少し上手になったことがあって,いつか受けてみたいと思っていたのです.
ほんとうに,気持ちよさそうなのです。そしてぜんぜん,ばしゃばしゃ音をたてないで,すーっと進んでいくのです。

日本にも来られて,水泳教師向けのワークショップをしたことがあったそうです。

1日目の午前中は, fun da mental といって,fun (楽しい)とmental(精神的)とfundamental (基礎)の掛詞になっている名前のクラス、要するにたのしい基礎のクラスと,午後には平泳ぎのクラスがありました.
2日目は1日中クロールでした。
人数は、1日目は10人以下で,2日目も13人ぐらいで,じっくり習える人数でラッキーでした。

ひとつのクラスで,最初の1時間半ぐらいはdry land つまり、陸上でのクラスで,なか1時間半がプールで,最後の1時間ぐらいがまたdry land です。
そんなに陸上でやることあるのかなあ,と,ちょっと思っていたけど、時間が足りないぐらいでした。

たとえば今日のクロールだったら,クロールに必要な動きを,ステップバイステップにばらして順番にやっていくのです。

陸上でクロールの動きをやると,まるで太極拳か,ダンスみたいなんですよー。
けっこうたのしかったです。

私はクロールの息継ぎがうまくできなくて,息継ぎはいつ習えるのかな,と思っていたけれど、息継ぎのところにくる前に,プールに行く時間になってしまいました。

でも、その前の段階の動きが,タイミングとかいろいろな要素が,うまく組み合わさると、なんと,息継ぎは自然にできちゃったのです! 息継ぎ自体のことは,ほとんど習いませんでした。

ただ、あまりブクブク息を吐き過ぎるな、ジェントルに息を吐くように、と、個人的にアドバイスされたのと、急いで吸おうとしないように、顔をあげてからも息を吐きつづけたら,あとは自然に入ってくる、息が入るのには2秒もかからない、と、言われただけでした。(これは、アレクサンダー・テクニークで歌とか管楽器をやる人に言うことと、同じだなあ) 。

ファン・ダ・メンタルも,名前のとおり,とてもたのしかったです.

スティーブンは,気さくな親しみやすい人でした。
水の中がほんとに好きみたいで,”競泳をやめてから,陸上で生活していた時期もあったんだけど,今は水の生活に戻れてとっても幸せ” といってました。
水が怖い人とか,泳いだことがない人に教えたのが最初みたいです。いろんな人に教えることも,とても楽しんでいる様子でした。

ーーーーーー

あしたはチャイナタウンバスという中国人がやってる安いバスで,ニューヨークにむかう予定です。
なんでも,バスの中では中国の歌謡曲がずっとかかっている,という噂です.

ボストンのトミー・トンプソンのアレクサンダー・テクニークの学校には火曜日に戻ります。トミーの学校もとても楽しくて,いろいろ書きたいのだけど,時間がなかったのですが,また書ければと思います。

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ギターレッスン@ボストン

今、ボストンに来ています。今から2週間弱、滞在する予定です。

きのうの晩、着いたのですが、アメリカ東海岸は、日本と時間がほぼ正反対で、14時間違うので、今こちらは夜中です。

昼間、眠くて、夕方になってくると少しづつ頭がクリアになってきて、夜中になるとはっきり目覚める、という感じになってしまってます。べつに昼寝したわけでもないのに眠くならない。。やばいな。

明日の朝9時から、アレクサンダー・テクニークのクラスです。
ひさしぶりのところなので、ちょっとどきどきです。
それまでに、よく寝て、ちゃんと起きなきゃいけないのに。

今日は、昼間はひたすらぼーっと散歩していました。お店の店員さんなどと簡単な会話を交わすことで、少しづつ英語に慣れてきているところです。
お店の人が、マニュアル会話じゃない人が多いのが、いいな。

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夕方に、ギターのレッスンを受けにいきました。

4年ほど前に、2回ほどだけ行った先生のところです。
その先生は、4年前に偶然、学校の近所に張り紙が貼ってあって、みつけたのです。行ってみたら、私がアレクサンダーの勉強に来てる、と言ったら、「ぼくもアレクサンダーに興味があるんだ。まだレッスン受けたことないんだけど」と言ってました。でも、アレクサンダーと共通点が多いなどとよく言われるフェルデンクライス・メソッドを習ったことがあるとのことでした。

それでということもあって、身体の使い方の面もふくめてていねいに教えてくれる教え方で、なかなか勉強になりました。ネックを握るときや、ピックを持つときの手の自然な使い方とかについてもふくめて、教えてもらいました。

今回、あの先生まだやってるかなぁ、と、ウェブで調べたら、ちょっと引越したけど近所でやっていて、早速予約をいれたのでした。

Jerald Harscher という、ドイツ系っぽい先生です。
(あんまり笑ったりほほえんだりしないのがいかにもドイツ人って感じだなあ。  なんて、ちがったりして。。)

行ったら、「今回、トミーのクラスに行くの?」と言われて、「トミー(私が行くアレクサンダー・テクニークの先生)のこと知ってるんですか?」と言ったら知ってるとのことでした。ちょっとびっくり。あの後レッスンに行ったのかな? それは聞きそびれてしまいました。

そのうえ、さらに話を聞いてみると、アンドーヴァー・エデュケイターという、アレクサンダー・テクニークの考え方に基づいた音楽の教え方(ボディ・マッピングを中心に教えている)があるんですが、それの資格もとったとのことです

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「ギターを弾くことにかんして、どんな夢(ドリーミング)がありますか?」ときかれて、歌の伴奏でリズムギターを、もっと豊かな感じに弾けるようになりたい、と言いました。
そして弾いてみた。

なかなかいい、と言ってくれたけど、
ずっと大きい音で弾いていなくてもいい、と言われた。
歌が消されちゃうから、って。
(多くの人がそんなふうに弾くんだけどね、って。)
(日本で前に行ったギターの先生に、もっと大きい音で弾いたほうが、ギターの鳴りもよくなる、と言われて、がんばって大きい音で弾こうとしていたところもあったのだ。)

でもたとえばベース音をしっかり弾いて、高い音の弦は小さく弾くと、もっと豊かな音になる。

でも私の「リズムをもっとリッチにしたい」というのは、「まさにあなたが今弾けることを聞くと、その次の段階だから、まさにふさわしい課題の設定だね」と、ほめられた。

まずアイデアを説明してくれて、
それに必要なテクニックをどう身につけるかを教えてくた。

あと、あなたはピックを軽く持ってるけど、親指のパワーをもっと使う必要があるときもある。
バーバラ・コナブルが書いてたように、テンションとパワーは違うからね。
それから、ギターの内側にむかって弦をはじいたときが、一番音が響く、下に向かってではなくて、と、教えてくれた。

なかなかたのしいレッスンでした。

こうやって書くと、当たり前しか言っていないように聞こえるかもしれないけど、自分が弾いたのを聞いて、それで言ってくれる言葉だから、貴重です。

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うん、音楽を知っていて、身体の使い方も知っている音楽の先生というのは、いいなぁ。

あとはどれだけ練習する時間がとれるかだな。
でも、あついうちに今だけでもちょっとがんばろう。

てか、ほんとは今練習したいのに、
夜中なのでできないのがくやしい。。

* * * 

それと、ときどき生徒になるのは、教え方の勉強にもなるな、とっても。

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アレクサンダーテクニックのボストンの学校

アレクサンダー・テクニックのボストンの学校(Alexander Technique Center at Cambridge 校長はトミー・トンプソン Tommy Thompson)が気に入って、何回か学びに行ったのだけど、気がついたら前回行ったときから3年も経ってしまった。

その後、トミーの奥さんで、自身アレクサンダー・テクニークの先生で、ダンサーでもあるジュリー・トンプソンが、46歳の若さで、癌で亡くなったり、いろいろあった。

私が学びに行ってたときにいて、仲良しになった学生たちも、ほとんどみんな卒業した。

そんなに時間が経ったような気がしないのだけど、そろそろまた行きたいと思う。学生たちの顔ぶれも変わっただろうから、馴染めるかな、とも思うけど。

—–

アレクサンダー・テクニックの学校は、大きいところは少なくて、多くのところが6人~15人ぐらいの、少人数でやっている。直接、先生に観てもらえたり、ハンズ・オンを受けられる程度の人数が、ちょうどよいのだ。

そういう学校が、各地にある(ヨーロッパと北米が多いかな)。

—–

トミーの学校を勧めてくれたのは、何度も来日しているスイス人のアレクサンダー・テクニック教師のローザ・ルイザだった。彼女には、私がアレクサンダー・テクニークをはじめた1988年のころから、とてもお世話になってきた。

「『伝統的』と言われる教え方と、新しい教え方と言われる教え方の橋渡しが自分のなかでできたらと思うのだけど、そういうことを学ぶためにはどこの学校がいいと思いますか?」と彼女に聞いたらトミーの学校を教えてくれたのだ。

トミーの学校を選んで正解だった。

まず驚いたのは、そのときいた学生が、まだ学び始めて間もないのに、とてもいいワークをすることだった。ワークの受け手になった私のからだがよろこんでいた。旅の疲れがぬけていって、異国にいても自分自身に戻れる気がした。

(いや、学び始めて間もないからこそ、強引になってしまったりする余地がなくて、無心にできて、いいのかも? その、よさを、経験者になってからも維持することのほうが難しいのかもしれない)

学校によっては、最初の1年目はワークを受けるのに専念する学校も多いのだけれど、トミーの学校は一年目から、受けるほうと、ワークするほうと両方ともやる。それも、いいなと思った。

なんというか、ワークするということに、「特別」感がないのだ。

—–

トミーの学校では、技術的にはテーブルワーク(テーブルの上に寝た人にワークするやつ)をとくに重点的にやった。

これは、私が日本の学校でそんなにやらなかったことだったから、とても勉強になった。

まあ、どういうやり方をやろうと、自分自身の使い方という意味ではみんな共通してくるのだけれど。。

やり方ということ以上に、考え方、ものの観方の面で、トミーの学校では多くのことを学んだ。

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