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アイボディ、マティアス・アードリック来日

白状すると、私は、アイボディの熱心な生徒かと言われたら、実はそうでもない。のですが、
それでもマティアスのワークが好きなので、毎年受けています。

眼の疲れが取れるし、頭がすっきりします。

(それと、チャーミングな人柄のマティアスに会えるのがうれしい(*^_^*))
マティアスアードリック来日 アイボディ・レッスン】

自分の目や視覚のことが、気になる方へ
視覚と脳と体のつながりが、気になる方へ

アイボディという、目と脳の使い方のレッスンをする、マティアスアードリックさんが8月おわりに来日します。

アイボディ(EyeBody)は、アレクサンダー・テクニーク教師であったピーター・グルンワルドが、自分自身の極度の近視を治したいと、独自にワークを発展させて目の使い方/脳の使い方のワークをはじめたものです。

ピーターは10センチ先もぼやけるほどの近視だったそうですが、今は全く眼鏡を使っていないのです。

いまは、アイボディは単に視力をよくするのが目的ではなく、自分の目、そして脳の使い方の癖を知り、それを変えて、より生き生きと、”今に生きる”ためのワークになっています。

具体的には、寝た姿勢で視覚システムの通りをよくするワークをしたり、見ることの練習、見ることを含む日常のシチュエーションの練習、ヴィジョン・ダンスという視覚のエクササイズ、など、その人の状況に合わせて行います。

マティアスアードリック Matthias Erdrich先生は、ピーターの一番弟子で、日本に毎年来ていて、ピーターとはまた味わいの違う、穏やかな人柄に、ファンが多いです。

日本で教えるようになってから日本語の勉強を続けていて、ひらがなとカタカナの読み書きができ、日本食、とくに焼き魚定食が大好きです。(とんかつも好き)。

マティアスは、オーケストラのコントラバス奏者の顔も持っています。

音楽を演奏する方は、楽器を持参していただいたりして、アイボディの考え方を生かした楽器のレッスンも可能です。

アイボディがはじめての方は、2回の枠(1時間)をとっていただいて、「入門レッスン」という形で、基本的な説明&ワークをさせていただきます。

以下の日程になります。

東京
8月28日(月)
8月29日(火)
8月30日(水)
8月31日(木)

京都
9月2日(土)
9月3日(日)
9月4日(月)

詳細、申込はこちら → アイボディ・ジャパン公式サイト
http://www.eyebody.jp/

サイト内の「ウェブ申し込みフォーム」をクリックすると、空いている時間枠が表示されます。

参考までに…
私(石井ゆりこ)が前にアイボディのワークショップに参加したときのブログ。2010年
http://www.littlesounds.com/wp/52216458/

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見ることについて。

私たちは本当にあらゆる場面で、見るという行為をしています。

パソコンをする、ケータイをする、本を読む、街を歩く、美術館で絵を見る、電車に乗る、キャッチボールをする、料理をする、楽器を演奏する、道具を使う、人と話す、人に働きかける etc. etc.

見るときの癖、いろいろありますよね。
見てて、目が疲れたり、首や肩が痛くなるという人も、少なくないと思います。

私がアイ・ボディ(アレクサンダー・テクニークを見ることと脳の使い方に応用したワーク)のセッションで学んで、なるほどと思ったことのひとつに、

 見るということは、目でやっているのではない

ということがあります。

 目(眼球)は、光を通している。
 その光が視神経を通って後ろに上に届き、脳に届く。
 後頭部の上部にある、上部視覚野に届く (脳のなかの一番後ろ部分に視覚野があるそうです)。
 そこではじめて、光の粒子を認識できる。
 明るさ、色、輪郭、奥行き、動き などとして、認識する。

アイ・ボディのセミナーに行くと、さらに詳しくワークできますが、
ここではおおまかに、

 見ることは、頭の後ろでやっている。頭の後ろで見ている。
 目は光を通すだけ

と、思ってみると、どうでしょう?

 こちらから見に行かなくても、むこうから光線が入ってきて届き、脳がそれを受容し、認識している

ということなのです。

 見るために、よけいなことをやりすぎていたなあ、と、思います。
 もっとよく見たいと、顔をぐっと近づけて、見ようとすることも、よくありがちですが、そうしたからといって、見やすくなるわけではない場合が多いですね。
 それよりも、緊張を手放して、視覚の通り道をひらくという意図を持つと、見え方が変わって、より立体的に、より生き生きと見えたりします(註:感じ方の変化には、個人差があります)。そして何より見ることによっての疲れが出にくくなります。

 まずは、見るときに、自分がどんなふうに目と、脳(頭)の後ろを使っているだろう? ということを、ちょっと観察してみるとおもしろいと思います。
 見ようとするときに、首が自由かどうか、首を押し下げていないかも、あわせて観察してみてください。

 私のアレクサンダー・テクニークのレッスンでも、見ることを、いろいろな日常のアクティビティのなかでどういうふうに行っているかを観察し、改善するためのワークができます。興味がある方はお問い合わせください。
 (アイ・ボディとしてではなく、アレクサンダー・テクニークのレッスンとして行います。)

年に2回の、海外来日講師によるアイ・ボディのワークでは、さらに詳しく個々人の問題にあわせてワークできます。そちらもお勧めです。しかし機会が限られているので、アイボディを受ける前、受けた後に、見るという課題をもちつつアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けられることはおすすめです。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでのレッスン・スケジュールと、お申し込みはこちらです。

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ゴールデンウィークからきのうまで

4月28日

祖母が98歳の生を全うして天に召されました。一昨日、老衰で、朝一度起きた後ベッドに戻って眠るように逝ったという。30年位の一人暮らしのあと息子一家と同居してそのあと老人ホームで10年くらい暮らしていた。入ったころは、元教師だったこともあってまわりの人にも厳しい人だったようけど、最後のほうはほんとに優しい人になって、職員さんにもいつもにこにこと、ありがとうしか言わなかったと、涙ぐみながら職員さんたちが話してくださいました。いいときばかりじゃなくいろんなときがあったと思うけど、家族のように接してくださり感謝。祖母の娘である母は名古屋までよく訪ねていて、2日前にも訪ねておやつを食べるのを手伝って、バイバイと笑ってお互いに手を振って別れたという。

介護のお仕事をしている友人が伝えてくれた。

「たくさんのお年寄りと接していて思うのは、人は最後まで変化していくのだなあということ。介護の職場にも100才以上のお年寄りが何人かいるけど、静かにずっと変化し続けています。それを思うと自分と言うのは、固着した存在じゃないのだなと思います。」

ほんとにそうなんだな。

あと、猫のにゃみが23歳(人間でいえば100歳)で他界したときも、直後、部屋の雰囲気がすごく美しかったのだけど、今回も、お別れ会をやった教会が、物理的じゃないレベルで清らかになっていたような気がした。

5月2日~3日

御殿場にて、BODCYCHANCE主催のアレクサンダー・テクニークの合宿に部分参加、ワークショップに出たり、自分もワークショップをやったり、おしゃべりしたり遊んだりしました。楽しかった!

実はこの御殿場でのGWのアレクサンダー・テクニークの合宿には、BODYCHANCEという名前になる前だったころからほぼ毎年10年ぐらい参加していることになる。ふだん私は独立して仕事しているけど、年に1回、学んでいる人たちや教師仲間とたくさん会えるのはとてもよい刺激になるし楽しい。

雨が降って富士山が見られなかったことと、最後までいられなかったことが残念。

海外からのゲスト講師はアイリーン・トローバーマン(Eileen Troberman)とグレッグ・ホルダウェイ(Greg Holdaway)が来日。

私は日本人の教師のクラスに出たほか、私はアイリーンのクラスにふたこま出ました。

 

アイリーン(Eileen Troberman)は今回はじめてお会いしたけど、90年代の、京都KAPPAのコースのころや、さらにKAPPAがはじまる前のクラスの雰囲気や内容を思い出して、なんだかとても懐かしくうれしかった。

・軽やかさ、楽しさ、

・いろんなことをうごきとして見ること、

・自分自身にディレクションをあたえることによって、相手とか、場の全体から返ってくるものがあること(相互作用が起こること)

・解剖学的なことを知的にではなく体験的に、自分たちが実験できることとして伝えてくれること

etc.etc.

そういうことが、アレクサンダー・テクニークの原理のなかに含まれていたり、あるいは、アレクサンダー・テクニークの原理を思い出すことによって、そういうことが起こりやすくなることを、あらためて再確認。

そうだ、そうだったよね。

ほかの人のクラスもとてもおもしろかったので、また書きたいと思います。

5月4日

スティーブン・スクートボーダーのプロセスワークのセミナーに参加。

テーマは、「シンクロニシティ」

世界で起こることと、私たちの内的な経験とのあいだの「非因果的」な意味ある関係について。

でもそのテーマに入っていくのは2日めと3日めがメインのようで、私が参加した1日目はその準備のワークとして、自分のアイデンティティをまずはしっかり認識する(そうしたほうが、シンクロニシティのある世界とよい関係を持ちやすいという)、そのためのワークをやる日だった。

2日目と3日目は私は出られないのだ。

でも不思議とそんなにがっかりでもなく、楽しかった。

シンクロニシティのセミナーに出て、シンクロニシティのことを勉強できないというのも、よくわからないけどきっと私にとって大事なプロセスなのだろう。

そういえば去年、占星術みてもらったとき、いまは新しいことを学ぶ時期ではなくアウトプットの時期とか言われたな。たしかに、自分の意思としては新しいことを学びつづける気まんまんなのに、あまりそうならず、思いがけず教える役割を、気がついたらやることになっていたのは、三月にボストン行ったときもそうだったなあ。きのうも終わった後のお茶で、プロセスワークが初めての参加者に、なぜか解説をしているという不思議。プロセスワーク久しぶりで覚えているかも自信なかったのに。

 

5月5日~7日

“アイボディ”(見ることと、脳の使い方にアレクサンダーテクニークを応用したワーク)の先生マティアス・アードリックのレッスンの通訳をさせていただき、自分もレッスンを受けました。

お昼にマティアスと天ぷらそばを食べたのですが、いつものことだけど食事中に日本語についていっぱい質問されて、マティアスはひらがなでたくさんメモをとり、帰るときには、メモも見ず「えびのてんぷらがおいしかったです」と、お店の人に一言伝えてお店を出ました。「伝わったみたい!」と喜んでました。

「てんぷらのえび、でいいのかな?」

「それを言うなら、えびのてんぷら、ですよ」

「ああ、そうだった。みんな逆になるんだよね~。

日本語勉強しはじめてから、英語と日本語の通訳ってすごく大変な仕事だって実感するようになったよ!」

海外から来日する教師によっては、通訳がやってくることを当然のこととして、任せきりで、自分で日本語でコミュニケーションしようとしない人も実は少なくないのだけれど、言葉や文化もふくめて、お互いに学びあう姿勢をもっている教師のほうが、私は信頼できると感じるな~。

彼はいままでの日本滞在は、一週間くらいを年二回で計四回ぐらいだから、全部足してもそんなに長くないけれど、日本語覚えようとしてくれていてうれしくなります。

今回は、マティアス初の、経験者向けグループワークもやって、それもよかったです。

ワークの内容についてはそのうちまた、まとめたいです。

いままで受けたアイボディのレッスンの報告の一部はこちらです。

5月8日

おおはた雄一さんと坂田学さんのライブに行ってきた。

おおはたさんはメインは歌とギターだけど、最近スネアドラムを衝動買いしたとかで、ドラムも1曲叩いてた。

おおはたさんは何回か見てるけど、坂田さんはほぼ初めて。ドラムの椅子に座ってバスドラとスネアを両脚で(たぶん)叩きながらギターを弾いて歌ってた!

あるいはスネアじゃなかったかな? とにかくズンツツズンツツと足で音を出しながら、手はギターを弾いてた。

ギターはフィンガーピッキングのきれいなアルペジオ。声はやさしい声だった。

別の曲ではドラムソロも。小柄で童顔の彼は手をあまり動かさないのにスティックが高速で動いて、パワフルで美しい音を出す。

そこにおおはたさんの自由自在のギターやコーラスが入る。

あまり準備せず、ふたりでその場で起こることにしたがう、という感じの、まさにライブ。

たのしかった。

曲の途中で坂田さんが爆笑してしまって演奏を中断せざるをえなくなり、もう一回やり直したのもほほえましかった。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでの、アレクサンダー・テクニークのレッスンのスケジュールはこちらをご
覧ください。

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ボストン滞在記 2012.3.9~3.13

March 9, 2012

アレクサンダー・テクニーク・センター・ケンブリッジの教師養成コースにて。

きのうは長い一日だった。まず午前中が長かった。
先生のトミー・トンプソンは話し上手で話好きなので、また同時に生徒の話もじっくり聞くひとなので、話が長くなってワーク時間が少なめになることが、今まではよくあったのだけど、今回はそうはならない。生徒たちのモチベーション(実践、練習したいという)なのか、今がたまたまそういう次期なのか、休む時間含めてだけど4時間、無駄口(ではないんだけど) 叩かずにずっとワークしあってると、かなり、いっぱいいっぱいになる。
充実してました。

大きなセミナーで教える話好きのトミーしか知らない人から、トミーのクラスってたしかにおもしろいけど、ほんとに勉強になるの?と懐疑的に言われたこともあるけど、セミナーで話してひとを惹きつけて目立っているときより、学校で教えるときのトミーが真骨頂なんじゃないかなと思っている。

午後はバークレー音楽院とボストン音楽院の、音楽とダンス科でのアレクサンダー・テクニーク・クラス。ダンスクラスではアシスタントをしてきた。

英語で教えるなんてできないと思っていたけど、今日はアシスタントとしてだけど、英語で教えられた!
ボストン音楽院のダンスクラスにて。
アレクサンダー・テクニーク教師養成コースでも、今までは言葉に自信がなくて口数少なめなワークになりがちだったんだけど、今日はけっこう言葉で伝えられた。新しい情報とか見方だと喜んでくれて…。
この間英語の勉強なんて全然してなかったんだけどね~。
ちょっと嬉しいです。

March 10, 2012

きのう先生のひとり、デビが夕食に呼んでくれた。
ちょっと買い物してから帰るね、と寄った先はパンやさん。いろんな種類のパンがあり、町から離れてるのにとても繁盛してる。後でわかったけどkosher bakery ユダヤ教にのっとった作り方のパンとやさんだった。この前の水曜日はユダヤ教のお祝いの日だったそうで、それを祝うためとのこと。ほかの料理とともに、ヘブライ語でお祈りしてから食べた。

今、朝ご飯に、そのパンやさんで買ったベーグルを食べた。きのうのパンもおいしかったけど、ベーグルも、もっちり、ずっしり、そしてすごくおいしい!

しかし彼女がそんなふうに信心深い生活をしてるとは全然知らなかった!ご主人と結婚するとき司祭に、金曜日にはかならず一緒に過ごすように、と言われて、三十年間(ぐらい)それをずっと守っているそうだ。すごい!! だから一週間以上の旅行は、かならず一緒にするそうだ。日本にも来たいと言っていた。たのしみ!

March 13, 2012

オープンマイクに行ってきた。ボストンにて。
一人一曲。3月11日の翌日なので、そのことを少し話して、「ふるさと」を歌った。
歌、よかったとみんな言ってくれた。

以前は、緊張すると、一字一句がちゃんと歌えるかとか、ギターの音をミスしないかとかが、どうしても気になってしまっていたんだけど、アイボディ(Eyebody) の先生マティアスの、「ヴィジョンをまず思い浮かべて唄う。ヴィジョンがリードしてそれに言葉はついていくし、手もついてくるんだ」という教えを思い出して歌った。

山、川、かけがけのない…

細かいことは気にならなくなった。

歌の意味を何人かが後で聞いてきてくれた。簡単には答えたけど、もう少しちゃんと自分の気持ちが伝わるように話ができればもっとよかったなー。

今回に限ったことでないけど、私の課題。

でもオープンマイク楽しかった。

ふるさとのうた、11日の日に家で歌ったときに泣けて歌い続けられなかった。

きれいな川の水や、生き物たちと遊んだ山が、永遠に失われてしまったかも。もう帰れないかも、と頭をよぎって。

いや、いつまでも、そのまま、あってほしいのだ。傷を癒して再生してほしいのだ。

私も生まれ育ちは首都圏だけど、あの山々がなければ生きてはいけない……

ボストンでのアレクサンダー・テクニーク:カテゴリー一覧

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見えないところで視覚野を使う(アイボディ合宿)

能楽堂のさる3

この写真は、先月はじめに京都であった、ピーター・グルンワルドの”アイボディ(Eyebody)”の合宿のときのものです。京都の北部の修学院というところにある関西セミナーハウスのなかに、100年前につくられた能楽堂があって、今回はそこを会場に、三泊四日のセミナー合宿がありました。

その最後の日の朝、視覚の経路をたどる瞑想を、みんなでしていたら、猿たちが大勢、庭をとびまわっていて・・・。

すごいスピードで庭の端から端までかけまわったり、木に登り、そこから、とととと、と、足音をさせて、屋根に登り、すごく元気な猿たちでした。

子どもを連れた親たちが、何家族か、いるようでした。
大人の猿や、走り疲れた猿は、屋根のてっぺんに上って、のんびり座っていました。

—–

さて、アイボディとは、ピーター・グルンワルドさんが、アレクサンダー・テクニークやほかのワークを、自分自身の経験をもとに独自に発展させてできた、目の使い方、そして脳の使い方のワークです。

ピーターは10センチ先もぼやけるほどの近視だったそうですが、今は全く眼鏡を使っていないのです。でも、ワークショップは単に視力をよくするのが目的というだけでなく、自分の目そして脳の使い方の癖を知りそれを変えて、より生き生きと、”今に生きる”ためのものでした。

私自身も近視で、部屋の中では大丈夫ですが、外出のときには眼鏡を使っています。

でも、そういえば合宿のあと、眼鏡をかけなくてもあまりストレスを感じていないです。

以前は、見えないことにストレスを感じていたのですが、最近は、外を歩いていて、文字などは見えないこともあるので、文字を読む必要があるときは眼鏡をかけるけれど、ほかは、「見よう!」とがんばらなくても自然と入ってくる情報を、前より信頼できるようになって、前よりリラックスできるようになったような気がします。

合宿の詳細については、盛りだくさんだったので全部は書ききれませんが、そのなかで、ワークをそれぞれの日常のことに応用するワークをやったときのことを書こうと思います。

歌を歌う、コンピューター、折り紙、お札を数える、など、それぞれの人が、いろいろなことをやって、見ていてとても興味深く、自分の日常にも応用できるヒントが得られました。

私は、鞄のなかから物を取り出す、ということを、みなさんの前でやって、先生のピーターに見てもらいました。
私はいつも、鞄のなかに物をつめこみすぎる傾向があって、そこから必要なものを取り出そうとしたとき、なかなか出てこなくてあせる、ということが、よくあるのです。

それで、鞄からお箸をとりだす、ということをやってみました。

マイ箸をせっかく持ち歩いているのに、必要なときに見つからずに、結局割り箸を使ってしまう、ということが多かったのです。

まず、いつものようにやってみると、

「君は、見ないで取り出そうとしているようだね」

と言われました。

「暗いし、鞄の中には物がたくさんなので見えないし、でも見えなくても、手の感覚でわかると思ったんです」

と言ったら、

「見えなくても、視覚野を使ってごらん。そのものを視覚化(ヴィジュアライズ)して、思い浮かべてごらん。

ヴィジョンがリードして、動きがついてくる、そういう意図を持ってみて。」

と言われました。

それで、自分のお箸入れの色や形を思い浮かべてから、もう一度鞄に手をいれてみると、

あらふしぎ、すぐにお箸がみつかりました。

その一連の私の動きを見ていたほかの参加者の方々が、

「動きがさっきと全然ちがっていた。茶道をやっているみたいに、手が美しく見えた」

などと、言ってくれました。

たしかに、最初は(=いつもは)、無駄な動きがすごく多かったな、ということは、自分でもわかりました。

アイ・ボディは単純に目の使い方というより、脳の使い方なのだ、ということは、概念として聞いてはいたけれど、

実際に見えないものを探すときにも使えるんだな、

ということが、具体的な日常動作で経験できたことは、とてもよかったです。

それで思い出したのですが、以前、視覚障害者の人に会ったとき、その人の動きが、無駄がなくてとてもきれいだったことです。

すごいな~、どうしてそんなことが可能なのだろう?と思っていたのですが、そうか!目の見えない人は、きっとそういうふうに視覚野を使っているのでしょう。

—–

この合宿より話はさかのぼりますが、誕生日の日に同居人が、「なぞの旅」をプレゼントしてくれました。

行き先を知らせずいろいろおもしろいところに連れて行ってくれるということで。

雰囲気のよい映画館で、言葉のない映画を見たり、夕日がきれいな山にのぼったり、森のなかのレストランに行ったり、たのしかったのですが、

そのとき、しばらく目隠しをして、手をつないでもらって歩きました。

そのとき気づいたのが、目隠しをして歩くと、意外にも、自然に背筋が伸びて、歩くのがいつもより楽だった、ということでした。

いつもは、無意識に、前に見えるものの刺激に反応して、気がつかない程度に顔を前につきだしていたのかもしれません。

安全な環境をえらんで、目をつぶって歩くことをやってみること、お勧めです。

首を楽に、と思うと、バランスを取りやすいですよ。

去年のアイボディ合宿のことはこちら

こちらは、今年の2月に個人レッスンに参加したときのこと。
アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでの、アレクサンダー・テクニークのレッスンのスケジュールはこちらをご覧ください。

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アイ・ボディの個人レッスンを受けました。

先日、”アイ・ボディ(Eyebody)” の個人レッスンをするために、マティアスさんという先生が来日していました。
”アイ・ボディ”というのは、アレクサンダー・テクニークをルーツにした目の使い方/脳の使い方のワークです。
去年、その4日間の合宿に参加したときのことは、こちらに書いています。

今回は、合宿をリードしたピーターではなく、アシスタントのマティアスが来てくれました。
ピーターは、目と脳の使い方について、さまざまなことを自分で探求して、発見したアイ・ボディの創始者だけあって、天才肌の人ですが、ピーターの弟子のマティアスは、もっと普通の人という感じです。良い意味で普通の人。

今回、私もレッスンを毎日受けて、また通訳のお手伝いもしたのですが、マティアスが、たくさん来る生徒さんの名前を全部覚えて、名前を呼びかけながらレッスンを進めていくところや、その人がどういう問題をかかえているのか、というようなことを丁寧に質問しながら、じっくり見て、誠実にレッスンを進めていく姿がとても印象的でした。
レッスン内容も、深くてとてもよかったです。

私は、
一日目は基本的なワーク、
二日目は、通訳をするときの目と脳の使い方 (→ 通訳するとき、緊張するので、目も体も、脳も固まりがちなのが、自分で気になっていて)、
三日目は、Ipod touch(=Iphoneから電話機能をとったもの)でTwitterをみること、
の、ワークをやってもらいました。

Ipod touchは小さいので、小さい画面でどんどんスクロールをしながらTwitterを読むと、目や体が疲れる、という問題が、以前からあったのですが、それだけでなく、読む内容のことがありました。

ちょうどそのとき、エジプトのデモの話題を見ていたのです。現地からのリアルな声が入ってきて、まだ収束に向かう前で、死者が出たり、一番、緊張感があるころでした。
そういうことを、たまたま知ってしまって、気になってしまって、Twitterを見ると、そういう情報がどんどん入ってくる。そういうニュースを見るのはつらいことでもあるのだけれど、ただ、世界の少しでも多くの人が見守っていることが、不当な暴力が行われたりすることの抑止力になる、という側面も、あるようなのです。
でも、だったらそのときに、自分が大変になってしまわずに、居られたらいいな、と思いました。

 註※ #egyjp (日本語) #egypt (英語)というタグをつけてツイッターで検索すると、エジプト情勢についての現地からの声を中心とした情報が、見られるのです。ちなみに今はエジプトは落ち着いてきたけど、バーレーンやリビアが大変なようですね。祈。

ほかの人のワークのときにも常に言っていたことなのですが、マティアスは、プレゼンス(今ここに在る)という意図をもって、見る、ということを、ワークしてくれました。
「プレゼンス」というのは、見るという文脈でいうと、「”overfocusing” フォーカスしすぎ」でも、「”underfocusing” フォーカスしなさすぎ」でもない、目と脳の使い方、だということです。

でもその前に、そもそもなぜエジプトのニュースが気になって、見たいのか、ということを先生が質問してくれました。それで、自分がニュースを追っている意図が、自分なりにクリアになったところから、見るという行為に入り直せました。そうすると、自分がプレゼンスにいる助けになって、もう少し、落ち着くことができました。
それは、自由への意図であり、共感への意図だね、と。
あえて言葉にされてしまうと陳腐にも聞こえるし、そんなふうに、まとめられるのは、個人的に好きじゃない場合も多いのですが、でもなぜか、このときには、ワークの助けになりました。マティアスが、言葉のレベルじゃないところで、私の「意図」と一緒にいてくれたからなのかもしれません。

「意図(intend)」という言葉は、ピーターもマティアスも、とてもよく使います。

私にとってはあまり日常的に使う言葉じゃないので、最初、ピンとこない部分もあったのですが、アレクサンダー・テクニークで 「思う(Think)」ということと、同じことなのかな、と思います。
”Think” というと、考えすぎちゃう、というか、ウーン、と、うなりながら、コネクリまわして考えるような、重たい考えをイメージしてしまう場合があるので、意図(intend)にしたのかな?

アレクサンダー・テクニークでも「思うだけ、やらない」と、よくいうのですが、それと同じことなのかな、と思いました。何も考えないわけではなく、クリアー(明晰)に 「思い」、でも、そのために余計なことは 「しない」。

これはなかなかむずかしくて、ふだん私たちは、「思う」のと、ほとんど同時に、何かをやってしまっていることが、多いのですね。

マティアスは、
「プレゼンス(今ここに在る)という意図をもって」 に続けて
「判断を手放して」 とか、
「分析を手放して」
「理解しようとすることを手放して」 とか、
「どこかに到達しようとすることを手放して」
というようなことを、ハンズ・オン(手を触れ)しながら、その人や状況に応じて、言っていました。

たとえば、本を読もうとする人のワークのときには、
「内容を手放して、理解しようとするのを手放して、情報が光の粒子として届いてくるのをゆるす」
と。
内容をいったん手放すと、かえって内容が入ってくるし、理解を手放すと、結果的に理解できる、ということが、あるのです。
最初、老眼で読みづらそうだったその人も、だんだん、読めるようになってきていました。

これは、アイ・ボディのワークの報告でしたが、アレクサンダー・テクニークから派生して発展したワークなだけあって、アレクサンダー・テクニークの考え方のプロセスと、共通するところがたくさんあります。
どちらも、お勧めです。

”アイ・ボディ” の日本語サイトはこちら。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsのサイトはこちらです。

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PCでのデザインワークと、アレクサンダー・テクニーク

京都でのアイボディ合宿のとき、H君という2歳の男の子がいるN家に泊まらせてもらっていた話を先日書きました。お母さんのNさんは、アレクサンダー・テクニーク仲間であると同時に、自宅でデザインの仕事もしているのですが、今回、私のレッスンを受けたい、とくに見ることについてのレッスンを受けたいと言ってくれたので、連日の3食のご飯と交換で、レッスンをしました(とてもおいしいご飯を毎日いただいていたので、交換条件としては、私のほうが、うんと得をしすぎですが)。。

デザインの仕事は締め切り前になると、根をつめてパソコンに向かわなければならず、目が相当疲れます。そのとき、ちょうど締め切りが終わった直後だったのです。そしてちょうど、その仕事の「直し」が来たので、「じゃあ、その直しをやっているところを、レッスンとしてみてもらうことはできないか?」ということになりました。

仕事の姿勢や動きをレッスン中にやってみることは、よくあるけれど、リアルで仕事をしているところをアレクサンダー・テクニークのレッスンとして人にワークをする機会は、はじめてじゃないかな? ちょっとどきどきしながら、やってみました。

パソコンの前に座って、ソフトを開いてファイルを開いて、デザインの修正をはじめます。
注意力がパソコンの画面のほうに行きます。そうするとだんだん座っている姿が微妙に、あえて言葉にするとすれば浮いてくるような風になってきます。画面に注意力を集めながらも、画面から入ってきた情報が、頭全体の奥行きを通って、そして体全体を立体的に通って、本人の骨盤や地面の方向にも来る、、、というような方向性で、無言で彼女にハンズ・オン(=手を触れる)しました。

方向性を思いながらハンズ・オンするのは、姿勢を変えるためではなく、気づきをもってもらうためなので、ハンズ・オン後も見た目はほとんど変わりません。
ハンズ・オンされながら仕事なんて、やりにくいんじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、形としての姿勢を変えるわけではないので、そうでもないのです。
でも、気づきを持つと、すぐに刺激に対する反応のパターンが変化するのがわかります。

画面から来る情報に対して彼女は最初、「むこう(画面の方)に行きたくなる」というような反応をしていた、ということに気づき、それを抑制します。

画面からの情報は向こうから光としてやってきて、眼球をとおして入ってきて、脳に届いて、脳が認識します。
(脳のなかで、見えたものを認識する”視覚野”は、脳の一番後ろ部分にあるのです。)

いつもの「向こうに行きたくなる」反応を抑制することができると、
そのように「情報が向こうから入ってくるのをただ受け取る」ということができます。

でも、癖は根強いので、癖の反応のほう、受け取ることのほう、を行ったりきたりしている様子でした。その間も、デザインの修正の仕事は進んでいます。
特に、単純作業でない部分、考えないといけないところにくると、とたんに「むこうに行きたくなる」ということに、彼女は気づきます。

「でも、取りに行かないで、受け取れてるときのほうが、よく見える!」
と、彼女は言います。「それに、楽!」。
デザイン修正の仕事が完成し、メールを書いて添付して、送信しました。

窓からは午後の光が差し込んでいたので、アイボディ教師、ピーターに習った、目をつぶって太陽をみる目の日光浴(サンニング)と、パーミング(手で目を覆う)、を、何回か繰り返しました。「気持ちいい!」
今日は朝から外に出ていないけれど、家のなかにいても、太陽をこうやって受け取れるのは嬉しいです!
さらに、ピーターに習った、窓の外の景色を、近くのもの~だんだん遠くのもの~そしてまた近くのもの~と、奥行きを追っていきながら見るワークをしました。外の小川を水鳥が泳いでいます。

ワークが終わったらNが抱きついてきました。
あんまり普段そんなふうにする人でもないので、内心少し驚いていると、
「Hが生まれてから、デザインの仕事はずっとこうやって続けなあかんな、という覚悟ができて、楽な分だけというわけにはいかへんな、という覚悟をしていたけど、これで、今後もやっていけそうな気がするよ」
というようなことを言ってくれました。

うーん、美しいね。

私も自分の子どもがいないことに甘えず、真剣に生きたいな、と思いましたよ。

パソコンに向かう仕事って、それも一つの肉体労働だと思う。
大変な仕事だけれど、体を壊さず元気に続けてもらいたいものです。

それからお茶を飲んでいると、取引先から、修正OKの電話がかかってきました。(*^^*)

それから保育所にいるH君を自転車を迎えに行ってきたNさんは、「いろんなものの見え方がちがったよ~」と言いながら帰ってきました。

—–

今回、リアルな仕事をレッスンでやる、という体験をはじめてやりましたが、リアルな刺激に反応している本人と、直接ワークできるので、すごく学びになるな、と思いました。

今までも、パソコンをみてキーボードを打つワークや、ノートに文字を書くワークをやることがありましたが、実際に納品するものをその場でやるということははじめてでした。

なので、こんなふうにやりたい方は(あるいは、ここまででなくてもいいですが)、ご自分のパソコンなどをレッスンに持ってきてください。
パソコン以外のほかの道具でもいいですよ。また、うちにあるものなら貸しますので遠慮なく言ってください。

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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ピーター・グルンワルドの”アイボディ”の合宿に参加(1)

先々週に京都であった、ピーター・グルンワルドの”アイボディ”の合宿はとてもおもしろかったです。

ピーターはアレクサンダー・テクニーク教師ですが、自分自身の極度の近視を治したいと、独自にワークを発展させて目の使い方/脳の使い方のワークをはじめた人です。ピーターは10センチ先もぼやけるほどの近視だったそうですが、今は全く眼鏡を使っていないのです。でも、ワークショップは単に視力をよくするのが目的というだけでなく、自分の目そして脳の使い方の癖を知りそれを変えて、より生き生きと、”今に生きる”ためのものでした。

ピーターは”presence”(今を生きる)という言葉、そして”intend presence”(今を生きることを意図する)という言葉を、何度も何度も使っていました。

「今を生きることを意図する」というのは、変わった言い回しですが、
「ただ意図をもつだけ(何も”do”しない)」という意味のようでした。
これはアレクサンダー・テクニークでも同じで、(”首が楽に”ということや、方向性などを)「思うだけ、やらない」というのは大事なポイントなのです。できているかどうか確かめようするのは余計だし、「やろう」とした時点でやりすぎになってしまうのです。

ピーターは、上部視覚野(=脳の上後ろにある、見たものを認識する場所)を使って見る/考える ということも何度も言っていました。
ふつう、考えるというと、”辺縁系”という、記憶をつかさどるところで考えがちですが、そこに頼りすぎない、という練習をしました。普段、人は、過去の記憶を頼りにそれに基づいて判断しがちですが、そことは違うところで見たり考えたりする、ということのようでした。確かにそれが上手くできると、見え方が変わるし、物事の捉え方も変わります。
(これも、アレクサンダー・テクニークをやったり教えたりしていて、大事だなあと思うことと共通しているし、自分個人にとっても大事だなあと思いました。)

今回それを、ヴィジョン・ダンスという太極拳みたいなダンスや、瞑想や、遠く~近く~遠くと景色の奥行きを順々に見ていくワークや、目隠ししてのインタビュー・ゲームや、アクティビティや、いろいろな体験的ワークをとおして実践する時間が、朝から晩までたっぷりありました。最後の日にはサプライズで、夜中の散歩~暗闇の中でのワークもありました(終わったら23時過ぎでした!)

日常に戻っても練習を続けて、そういう時間をもっと増やしていけたらなと思います。
見ること、考えることには、本当にしぶとい癖があるし、脳の中での活動なので動きが直接見えないので、普通に考えると難しいけれど、アイボディのワークショップで、それをどうやって見ていくかのヒントをたくさんもらいました。ここのところの自分の癖を変えていくことには、大きな意味がありそうです。

アイボディのワークショップについては、また続きを書きますね。

翌年2011年のアイボディ・ワークショップのブログ

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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