カテゴリー別アーカイブ: 「見る」こととアレクサンダー・テクニーク

アレクサンダー・テクニーク・レッスンのひとこま - パノラマ視野

「何か下向いて歩いてますね~」
「とくに集中するものがないときは、そうですね~」
「集中しなくていいけど、パノラマ視野で、左や右、上、下、部屋全体を大きな視野にいれて歩いてみたら、どうかな?
視野が立体的になったら、自分の体も立体的に感じられるようになるかもしれませんね」

「あ、掛け軸が前来たときから変わったんですね」
それから窓の外を見たら、
「あ、大きな鳥!」
大きな鳥が庭に来ていて、つばきの花びらを熱心に食べていた。
一羽、そしてもう一羽。

私自身もそうだけど、日々起こっていることで、気づいていないこと、いっぱいあるな。

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2013年11月のアイボディ京都合宿の受付はじまっています。

2013年11月のアイボディ京都合宿の受付はじまっています。

アイボディは、アレクサンダー・テクニークを、目と脳の使い方に応用させて独自に発展したワークです。

アレクサンダー・テクニーク教師であったピーター・グルンワルドが、自分自身の極度の近視を治したいと、独自にワークを発展させて目の使い方/脳の使い方のワークをはじめました。ピーターは10センチ先もぼやけるほどの近視だったそうですが、今は全く眼鏡を使っていないのです。でも、ワークショップは単に視力をよくするのが目的というだけでなく、自分の目そして脳の使い方の癖を知りそれを変えて、より生き生きと、”今に生きる”ためのものでした。

私が前に参加したときのブログ。2010年

私が前に参加したときのブログ。2011年

この合宿に一度参加すると、そのあと、ピーターの弟子マティアスの年2回の個人レッスンや、自主勉強会などに参加して継続的に学ぶことができます。

会場は関西セミナーハウス。紅葉が美しいところですよ。サルにも会えるかも?

興味がある方はどうぞ!詳細、申込はこちら → アイボディ・ジャパン公式サイト

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レッスンのひとこま スマートフォンを見る動作

スマートフォンを見る動作を、アレクサンダー・テクニーク・レッスンのなかでやりました。

私自身も数年前に、買ったばかりのipod touch (iphoneの、電話機能がないものです) を電車の中で毎日見ていて、首や肩が痛くなってしまい、それをレッスンの中で見てもらったことがありました。
そのときに私が気づいたのは、腕を固めてipod touch持ち上げていたことでした。

スマートフォンやipod touchは、とても小さなものなのに、なぜか腕を不必要に固めて持ち上げてしまっていました。
意外とこういうことってあるんですよね。
しかもその体勢を、ipod touchを鞄にしまって歩き出した後もリセットできないで、ずっとそのままになっていたのです。

スマートフォンや携帯や、ipod touch、形はとても小さなものだけど、大きな刺激がつまっている物。その刺激に反応していたのですね。

刺激に反応できるという私たちの体内システムはすばらしいものだけれど、その反応のしかたが適切かどうか、ときどき意識的になってみることは役に立ちます。

スマートフォンという刺激だったら、「このスマートフォンを、見たりタイピングしたりするために必要なところまで持ってくるのに必要な力と動きは、どのぐらいだろう?」と、動きを観察してみましょう。

・必要ないのに、固めていた
・なぜか腕を縮めていた
・胴体もなぜか縮めていた

などの気づきがあるかもしれません。

もう一度、腕全体の長さを思い出して、腕を長く使ってスマートフォンを持ってみましょう。腕が長くて邪魔になる、と思われる人もいるかもしれませんが、腕は長いけれど、肘などの関節があるので、間接で好きな角度に折りたたむことができます。近づけるために、筋肉を縮める必要はありません。

スマートフォンの中の、読んだり見たりしている情報の内容が刺激的で、それに反応して体を固めている、ということもあるかもしれません。
それはもっともな反応ですし、そうなるより仕方のない場合もあります。
その場合でも、そのことに、自覚していましょう。
そういうときに体がどんな反応をしているのか、自覚しながら、情報をとりいれる、という習慣をつけると、よいと思います。
情報に取り込まれすぎずに、時々、ちょっと距離を置いたり、間をとったりしやすくなる、という効果もあります。

それは必ずしも情報から目を背けることではなく、自分自身の反応を自覚しながら、適切な距離で情報とつきあうということです。簡単なことではありませんが、今の時代には必要なスキルではないかと思います。

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ここまで、携帯やスマートフォンを見ることに関して、腕をどう使っているかということが意外に大事だという話でした。では、見るという動作そのものはどうでしょう?

見ようとして、顔を携帯のほうに無意識に近づけていたでしょうか?

そうしなくても、見えるかもしれませんね。
遠くて見えないから、必要があって近づけていたというより、携帯の画面という刺激に反応して、顔を近づけていたかもしれません。

それに気づいたら、離して必要な距離を取る、ことが大事だけれど、無理やりひきはなそうとすると、またすぐに元に戻りやすいかもしれません。そういうとき、意識するためのヒントがいくつかあります。

・首の楽さ、自由さを思い出します。
・頭の奥行きを思い出します。
・頭の上後ろを思い出します-そこに、脳の視覚野があります。見るという動作を実際に行っている部分です。
・目玉を通して光が入ってきて、その光と影のコントラストや、色や形の情報が、視神経を通って脳の後ろまで届き、そこで認識をしています。
・だから、こちらから見に行かなくても、光の情報が入ってくるのを受け入れればいいのです。

こういうことを意識してみたら(意識するつもりになってみたら)、もうすでに、画面の情報という刺激に反応しすぎる癖はどこかに行ってしまっているかもしれません。

携帯やスマートフォン、パソコンは、平べったいボディのなかに、たくさんの情報が入っていてまるで一つの世界を形成しているかのようです。なので、圧倒されそうになるのも無理もないかもしれません。
でも、あなたの脳も、それに負けず劣らずたくさんの情報が入って交信し続けている一つの宇宙なんですよね。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでは、東京と神奈川で個人レッスンを、それぞれ週に3日づつ行っています。
レッスン・スケジュールとお申し込みはこちらです。

 

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見ることについて。

私たちは本当にあらゆる場面で、見るという行為をしています。

パソコンをする、ケータイをする、本を読む、街を歩く、美術館で絵を見る、電車に乗る、キャッチボールをする、料理をする、楽器を演奏する、道具を使う、人と話す、人に働きかける etc. etc.

見るときの癖、いろいろありますよね。
見てて、目が疲れたり、首や肩が痛くなるという人も、少なくないと思います。

私がアイ・ボディ(アレクサンダー・テクニークを見ることと脳の使い方に応用したワーク)のセッションで学んで、なるほどと思ったことのひとつに、

 見るということは、目でやっているのではない

ということがあります。

 目(眼球)は、光を通している。
 その光が視神経を通って後ろに上に届き、脳に届く。
 後頭部の上部にある、上部視覚野に届く (脳のなかの一番後ろ部分に視覚野があるそうです)。
 そこではじめて、光の粒子を認識できる。
 明るさ、色、輪郭、奥行き、動き などとして、認識する。

アイ・ボディのセミナーに行くと、さらに詳しくワークできますが、
ここではおおまかに、

 見ることは、頭の後ろでやっている。頭の後ろで見ている。
 目は光を通すだけ

と、思ってみると、どうでしょう?

 こちらから見に行かなくても、むこうから光線が入ってきて届き、脳がそれを受容し、認識している

ということなのです。

 見るために、よけいなことをやりすぎていたなあ、と、思います。
 もっとよく見たいと、顔をぐっと近づけて、見ようとすることも、よくありがちですが、そうしたからといって、見やすくなるわけではない場合が多いですね。
 それよりも、緊張を手放して、視覚の通り道をひらくという意図を持つと、見え方が変わって、より立体的に、より生き生きと見えたりします(註:感じ方の変化には、個人差があります)。そして何より見ることによっての疲れが出にくくなります。

 まずは、見るときに、自分がどんなふうに目と、脳(頭)の後ろを使っているだろう? ということを、ちょっと観察してみるとおもしろいと思います。
 見ようとするときに、首が自由かどうか、首を押し下げていないかも、あわせて観察してみてください。

 私のアレクサンダー・テクニークのレッスンでも、見ることを、いろいろな日常のアクティビティのなかでどういうふうに行っているかを観察し、改善するためのワークができます。興味がある方はお問い合わせください。
 (アイ・ボディとしてではなく、アレクサンダー・テクニークのレッスンとして行います。)

年に2回の、海外来日講師によるアイ・ボディのワークでは、さらに詳しく個々人の問題にあわせてワークできます。そちらもお勧めです。しかし機会が限られているので、アイボディを受ける前、受けた後に、見るという課題をもちつつアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けられることはおすすめです。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでのレッスン・スケジュールと、お申し込みはこちらです。

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見えないところで視覚野を使う(アイボディ合宿)

能楽堂のさる3

この写真は、先月はじめに京都であった、ピーター・グルンワルドの”アイボディ(Eyebody)”の合宿のときのものです。京都の北部の修学院というところにある関西セミナーハウスのなかに、100年前につくられた能楽堂があって、今回はそこを会場に、三泊四日のセミナー合宿がありました。

その最後の日の朝、視覚の経路をたどる瞑想を、みんなでしていたら、猿たちが大勢、庭をとびまわっていて・・・。

すごいスピードで庭の端から端までかけまわったり、木に登り、そこから、とととと、と、足音をさせて、屋根に登り、すごく元気な猿たちでした。

子どもを連れた親たちが、何家族か、いるようでした。
大人の猿や、走り疲れた猿は、屋根のてっぺんに上って、のんびり座っていました。

—–

さて、アイボディとは、ピーター・グルンワルドさんが、アレクサンダー・テクニークやほかのワークを、自分自身の経験をもとに独自に発展させてできた、目の使い方、そして脳の使い方のワークです。

ピーターは10センチ先もぼやけるほどの近視だったそうですが、今は全く眼鏡を使っていないのです。でも、ワークショップは単に視力をよくするのが目的というだけでなく、自分の目そして脳の使い方の癖を知りそれを変えて、より生き生きと、”今に生きる”ためのものでした。

私自身も近視で、部屋の中では大丈夫ですが、外出のときには眼鏡を使っています。

でも、そういえば合宿のあと、眼鏡をかけなくてもあまりストレスを感じていないです。

以前は、見えないことにストレスを感じていたのですが、最近は、外を歩いていて、文字などは見えないこともあるので、文字を読む必要があるときは眼鏡をかけるけれど、ほかは、「見よう!」とがんばらなくても自然と入ってくる情報を、前より信頼できるようになって、前よりリラックスできるようになったような気がします。

合宿の詳細については、盛りだくさんだったので全部は書ききれませんが、そのなかで、ワークをそれぞれの日常のことに応用するワークをやったときのことを書こうと思います。

歌を歌う、コンピューター、折り紙、お札を数える、など、それぞれの人が、いろいろなことをやって、見ていてとても興味深く、自分の日常にも応用できるヒントが得られました。

私は、鞄のなかから物を取り出す、ということを、みなさんの前でやって、先生のピーターに見てもらいました。
私はいつも、鞄のなかに物をつめこみすぎる傾向があって、そこから必要なものを取り出そうとしたとき、なかなか出てこなくてあせる、ということが、よくあるのです。

それで、鞄からお箸をとりだす、ということをやってみました。

マイ箸をせっかく持ち歩いているのに、必要なときに見つからずに、結局割り箸を使ってしまう、ということが多かったのです。

まず、いつものようにやってみると、

「君は、見ないで取り出そうとしているようだね」

と言われました。

「暗いし、鞄の中には物がたくさんなので見えないし、でも見えなくても、手の感覚でわかると思ったんです」

と言ったら、

「見えなくても、視覚野を使ってごらん。そのものを視覚化(ヴィジュアライズ)して、思い浮かべてごらん。

ヴィジョンがリードして、動きがついてくる、そういう意図を持ってみて。」

と言われました。

それで、自分のお箸入れの色や形を思い浮かべてから、もう一度鞄に手をいれてみると、

あらふしぎ、すぐにお箸がみつかりました。

その一連の私の動きを見ていたほかの参加者の方々が、

「動きがさっきと全然ちがっていた。茶道をやっているみたいに、手が美しく見えた」

などと、言ってくれました。

たしかに、最初は(=いつもは)、無駄な動きがすごく多かったな、ということは、自分でもわかりました。

アイ・ボディは単純に目の使い方というより、脳の使い方なのだ、ということは、概念として聞いてはいたけれど、

実際に見えないものを探すときにも使えるんだな、

ということが、具体的な日常動作で経験できたことは、とてもよかったです。

それで思い出したのですが、以前、視覚障害者の人に会ったとき、その人の動きが、無駄がなくてとてもきれいだったことです。

すごいな~、どうしてそんなことが可能なのだろう?と思っていたのですが、そうか!目の見えない人は、きっとそういうふうに視覚野を使っているのでしょう。

—–

この合宿より話はさかのぼりますが、誕生日の日に同居人が、「なぞの旅」をプレゼントしてくれました。

行き先を知らせずいろいろおもしろいところに連れて行ってくれるということで。

雰囲気のよい映画館で、言葉のない映画を見たり、夕日がきれいな山にのぼったり、森のなかのレストランに行ったり、たのしかったのですが、

そのとき、しばらく目隠しをして、手をつないでもらって歩きました。

そのとき気づいたのが、目隠しをして歩くと、意外にも、自然に背筋が伸びて、歩くのがいつもより楽だった、ということでした。

いつもは、無意識に、前に見えるものの刺激に反応して、気がつかない程度に顔を前につきだしていたのかもしれません。

安全な環境をえらんで、目をつぶって歩くことをやってみること、お勧めです。

首を楽に、と思うと、バランスを取りやすいですよ。

去年のアイボディ合宿のことはこちら

こちらは、今年の2月に個人レッスンに参加したときのこと。
アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでの、アレクサンダー・テクニークのレッスンのスケジュールはこちらをご覧ください。

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今年のアイボディ合宿、受付開始したようです。

見ること、脳の使い方にアレクサンダー・テクニークを応用した、アイボディの合宿に、去年参加して、とてもおもしろかったのですが、今年も11月に京都であるようです。
受付が開始したようで、去年などは、開始してすぐに定員いっぱいになってしまったようなので、興味がある方がいたらと思い、こちらにもリンクを載せておきますね。

http://www.eyebody.jp/

合宿はなかなか濃い内容なので、その、さわりしか書けませんでしたが、去年参加したときのことをこちらに書いてます。

こちらは、今年の2月に個人レッスンに参加したときのこと。

PS)今、札幌にいます。来てからずっと、札幌らしくないじめじめしたお天気だったり、雨が降り続いたりしていましたが、今朝は、晴れていてさわやかです。でも天気予報によると、午後はまた雨が降るとか。。

 

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アイ・ボディの個人レッスンを受けました。

先日、”アイ・ボディ(Eyebody)” の個人レッスンをするために、マティアスさんという先生が来日していました。
”アイ・ボディ”というのは、アレクサンダー・テクニークをルーツにした目の使い方/脳の使い方のワークです。
去年、その4日間の合宿に参加したときのことは、こちらに書いています。

今回は、合宿をリードしたピーターではなく、アシスタントのマティアスが来てくれました。
ピーターは、目と脳の使い方について、さまざまなことを自分で探求して、発見したアイ・ボディの創始者だけあって、天才肌の人ですが、ピーターの弟子のマティアスは、もっと普通の人という感じです。良い意味で普通の人。

今回、私もレッスンを毎日受けて、また通訳のお手伝いもしたのですが、マティアスが、たくさん来る生徒さんの名前を全部覚えて、名前を呼びかけながらレッスンを進めていくところや、その人がどういう問題をかかえているのか、というようなことを丁寧に質問しながら、じっくり見て、誠実にレッスンを進めていく姿がとても印象的でした。
レッスン内容も、深くてとてもよかったです。

私は、
一日目は基本的なワーク、
二日目は、通訳をするときの目と脳の使い方 (→ 通訳するとき、緊張するので、目も体も、脳も固まりがちなのが、自分で気になっていて)、
三日目は、Ipod touch(=Iphoneから電話機能をとったもの)でTwitterをみること、
の、ワークをやってもらいました。

Ipod touchは小さいので、小さい画面でどんどんスクロールをしながらTwitterを読むと、目や体が疲れる、という問題が、以前からあったのですが、それだけでなく、読む内容のことがありました。

ちょうどそのとき、エジプトのデモの話題を見ていたのです。現地からのリアルな声が入ってきて、まだ収束に向かう前で、死者が出たり、一番、緊張感があるころでした。
そういうことを、たまたま知ってしまって、気になってしまって、Twitterを見ると、そういう情報がどんどん入ってくる。そういうニュースを見るのはつらいことでもあるのだけれど、ただ、世界の少しでも多くの人が見守っていることが、不当な暴力が行われたりすることの抑止力になる、という側面も、あるようなのです。
でも、だったらそのときに、自分が大変になってしまわずに、居られたらいいな、と思いました。

 註※ #egyjp (日本語) #egypt (英語)というタグをつけてツイッターで検索すると、エジプト情勢についての現地からの声を中心とした情報が、見られるのです。ちなみに今はエジプトは落ち着いてきたけど、バーレーンやリビアが大変なようですね。祈。

ほかの人のワークのときにも常に言っていたことなのですが、マティアスは、プレゼンス(今ここに在る)という意図をもって、見る、ということを、ワークしてくれました。
「プレゼンス」というのは、見るという文脈でいうと、「”overfocusing” フォーカスしすぎ」でも、「”underfocusing” フォーカスしなさすぎ」でもない、目と脳の使い方、だということです。

でもその前に、そもそもなぜエジプトのニュースが気になって、見たいのか、ということを先生が質問してくれました。それで、自分がニュースを追っている意図が、自分なりにクリアになったところから、見るという行為に入り直せました。そうすると、自分がプレゼンスにいる助けになって、もう少し、落ち着くことができました。
それは、自由への意図であり、共感への意図だね、と。
あえて言葉にされてしまうと陳腐にも聞こえるし、そんなふうに、まとめられるのは、個人的に好きじゃない場合も多いのですが、でもなぜか、このときには、ワークの助けになりました。マティアスが、言葉のレベルじゃないところで、私の「意図」と一緒にいてくれたからなのかもしれません。

「意図(intend)」という言葉は、ピーターもマティアスも、とてもよく使います。

私にとってはあまり日常的に使う言葉じゃないので、最初、ピンとこない部分もあったのですが、アレクサンダー・テクニークで 「思う(Think)」ということと、同じことなのかな、と思います。
”Think” というと、考えすぎちゃう、というか、ウーン、と、うなりながら、コネクリまわして考えるような、重たい考えをイメージしてしまう場合があるので、意図(intend)にしたのかな?

アレクサンダー・テクニークでも「思うだけ、やらない」と、よくいうのですが、それと同じことなのかな、と思いました。何も考えないわけではなく、クリアー(明晰)に 「思い」、でも、そのために余計なことは 「しない」。

これはなかなかむずかしくて、ふだん私たちは、「思う」のと、ほとんど同時に、何かをやってしまっていることが、多いのですね。

マティアスは、
「プレゼンス(今ここに在る)という意図をもって」 に続けて
「判断を手放して」 とか、
「分析を手放して」
「理解しようとすることを手放して」 とか、
「どこかに到達しようとすることを手放して」
というようなことを、ハンズ・オン(手を触れ)しながら、その人や状況に応じて、言っていました。

たとえば、本を読もうとする人のワークのときには、
「内容を手放して、理解しようとするのを手放して、情報が光の粒子として届いてくるのをゆるす」
と。
内容をいったん手放すと、かえって内容が入ってくるし、理解を手放すと、結果的に理解できる、ということが、あるのです。
最初、老眼で読みづらそうだったその人も、だんだん、読めるようになってきていました。

これは、アイ・ボディのワークの報告でしたが、アレクサンダー・テクニークから派生して発展したワークなだけあって、アレクサンダー・テクニークの考え方のプロセスと、共通するところがたくさんあります。
どちらも、お勧めです。

”アイ・ボディ” の日本語サイトはこちら。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsのサイトはこちらです。

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PCでのデザインワークと、アレクサンダー・テクニーク

京都でのアイボディ合宿のとき、H君という2歳の男の子がいるN家に泊まらせてもらっていた話を先日書きました。お母さんのNさんは、アレクサンダー・テクニーク仲間であると同時に、自宅でデザインの仕事もしているのですが、今回、私のレッスンを受けたい、とくに見ることについてのレッスンを受けたいと言ってくれたので、連日の3食のご飯と交換で、レッスンをしました(とてもおいしいご飯を毎日いただいていたので、交換条件としては、私のほうが、うんと得をしすぎですが)。。

デザインの仕事は締め切り前になると、根をつめてパソコンに向かわなければならず、目が相当疲れます。そのとき、ちょうど締め切りが終わった直後だったのです。そしてちょうど、その仕事の「直し」が来たので、「じゃあ、その直しをやっているところを、レッスンとしてみてもらうことはできないか?」ということになりました。

仕事の姿勢や動きをレッスン中にやってみることは、よくあるけれど、リアルで仕事をしているところをアレクサンダー・テクニークのレッスンとして人にワークをする機会は、はじめてじゃないかな? ちょっとどきどきしながら、やってみました。

パソコンの前に座って、ソフトを開いてファイルを開いて、デザインの修正をはじめます。
注意力がパソコンの画面のほうに行きます。そうするとだんだん座っている姿が微妙に、あえて言葉にするとすれば浮いてくるような風になってきます。画面に注意力を集めながらも、画面から入ってきた情報が、頭全体の奥行きを通って、そして体全体を立体的に通って、本人の骨盤や地面の方向にも来る、、、というような方向性で、無言で彼女にハンズ・オン(=手を触れる)しました。

方向性を思いながらハンズ・オンするのは、姿勢を変えるためではなく、気づきをもってもらうためなので、ハンズ・オン後も見た目はほとんど変わりません。
ハンズ・オンされながら仕事なんて、やりにくいんじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、形としての姿勢を変えるわけではないので、そうでもないのです。
でも、気づきを持つと、すぐに刺激に対する反応のパターンが変化するのがわかります。

画面から来る情報に対して彼女は最初、「むこう(画面の方)に行きたくなる」というような反応をしていた、ということに気づき、それを抑制します。

画面からの情報は向こうから光としてやってきて、眼球をとおして入ってきて、脳に届いて、脳が認識します。
(脳のなかで、見えたものを認識する”視覚野”は、脳の一番後ろ部分にあるのです。)

いつもの「向こうに行きたくなる」反応を抑制することができると、
そのように「情報が向こうから入ってくるのをただ受け取る」ということができます。

でも、癖は根強いので、癖の反応のほう、受け取ることのほう、を行ったりきたりしている様子でした。その間も、デザインの修正の仕事は進んでいます。
特に、単純作業でない部分、考えないといけないところにくると、とたんに「むこうに行きたくなる」ということに、彼女は気づきます。

「でも、取りに行かないで、受け取れてるときのほうが、よく見える!」
と、彼女は言います。「それに、楽!」。
デザイン修正の仕事が完成し、メールを書いて添付して、送信しました。

窓からは午後の光が差し込んでいたので、アイボディ教師、ピーターに習った、目をつぶって太陽をみる目の日光浴(サンニング)と、パーミング(手で目を覆う)、を、何回か繰り返しました。「気持ちいい!」
今日は朝から外に出ていないけれど、家のなかにいても、太陽をこうやって受け取れるのは嬉しいです!
さらに、ピーターに習った、窓の外の景色を、近くのもの~だんだん遠くのもの~そしてまた近くのもの~と、奥行きを追っていきながら見るワークをしました。外の小川を水鳥が泳いでいます。

ワークが終わったらNが抱きついてきました。
あんまり普段そんなふうにする人でもないので、内心少し驚いていると、
「Hが生まれてから、デザインの仕事はずっとこうやって続けなあかんな、という覚悟ができて、楽な分だけというわけにはいかへんな、という覚悟をしていたけど、これで、今後もやっていけそうな気がするよ」
というようなことを言ってくれました。

うーん、美しいね。

私も自分の子どもがいないことに甘えず、真剣に生きたいな、と思いましたよ。

パソコンに向かう仕事って、それも一つの肉体労働だと思う。
大変な仕事だけれど、体を壊さず元気に続けてもらいたいものです。

それからお茶を飲んでいると、取引先から、修正OKの電話がかかってきました。(*^^*)

それから保育所にいるH君を自転車を迎えに行ってきたNさんは、「いろんなものの見え方がちがったよ~」と言いながら帰ってきました。

—–

今回、リアルな仕事をレッスンでやる、という体験をはじめてやりましたが、リアルな刺激に反応している本人と、直接ワークできるので、すごく学びになるな、と思いました。

今までも、パソコンをみてキーボードを打つワークや、ノートに文字を書くワークをやることがありましたが、実際に納品するものをその場でやるということははじめてでした。

なので、こんなふうにやりたい方は(あるいは、ここまででなくてもいいですが)、ご自分のパソコンなどをレッスンに持ってきてください。
パソコン以外のほかの道具でもいいですよ。また、うちにあるものなら貸しますので遠慮なく言ってください。

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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ピーター・グルンワルドの”アイボディ”の合宿に参加(1)

先々週に京都であった、ピーター・グルンワルドの”アイボディ”の合宿はとてもおもしろかったです。

ピーターはアレクサンダー・テクニーク教師ですが、自分自身の極度の近視を治したいと、独自にワークを発展させて目の使い方/脳の使い方のワークをはじめた人です。ピーターは10センチ先もぼやけるほどの近視だったそうですが、今は全く眼鏡を使っていないのです。でも、ワークショップは単に視力をよくするのが目的というだけでなく、自分の目そして脳の使い方の癖を知りそれを変えて、より生き生きと、”今に生きる”ためのものでした。

ピーターは”presence”(今を生きる)という言葉、そして”intend presence”(今を生きることを意図する)という言葉を、何度も何度も使っていました。

「今を生きることを意図する」というのは、変わった言い回しですが、
「ただ意図をもつだけ(何も”do”しない)」という意味のようでした。
これはアレクサンダー・テクニークでも同じで、(”首が楽に”ということや、方向性などを)「思うだけ、やらない」というのは大事なポイントなのです。できているかどうか確かめようするのは余計だし、「やろう」とした時点でやりすぎになってしまうのです。

ピーターは、上部視覚野(=脳の上後ろにある、見たものを認識する場所)を使って見る/考える ということも何度も言っていました。
ふつう、考えるというと、”辺縁系”という、記憶をつかさどるところで考えがちですが、そこに頼りすぎない、という練習をしました。普段、人は、過去の記憶を頼りにそれに基づいて判断しがちですが、そことは違うところで見たり考えたりする、ということのようでした。確かにそれが上手くできると、見え方が変わるし、物事の捉え方も変わります。
(これも、アレクサンダー・テクニークをやったり教えたりしていて、大事だなあと思うことと共通しているし、自分個人にとっても大事だなあと思いました。)

今回それを、ヴィジョン・ダンスという太極拳みたいなダンスや、瞑想や、遠く~近く~遠くと景色の奥行きを順々に見ていくワークや、目隠ししてのインタビュー・ゲームや、アクティビティや、いろいろな体験的ワークをとおして実践する時間が、朝から晩までたっぷりありました。最後の日にはサプライズで、夜中の散歩~暗闇の中でのワークもありました(終わったら23時過ぎでした!)

日常に戻っても練習を続けて、そういう時間をもっと増やしていけたらなと思います。
見ること、考えることには、本当にしぶとい癖があるし、脳の中での活動なので動きが直接見えないので、普通に考えると難しいけれど、アイボディのワークショップで、それをどうやって見ていくかのヒントをたくさんもらいました。ここのところの自分の癖を変えていくことには、大きな意味がありそうです。

アイボディのワークショップについては、また続きを書きますね。

翌年2011年のアイボディ・ワークショップのブログ

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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「絵を描く」こととアレクサンダー・テクニーク

屋根の上の椰子の葉アレクサンダー・テクニークのレッスンの中で、「絵を描く」というアクティビティをやりました。

私のレッスンでは、前半で、最初に頭~首~背中の長さやバランスのことなど、基本的なワークをやった後、後半、生徒さんがやりたいこと、アクティビティに応用してみる、ということをよくやります。それが今回は「絵を描く」ことでした。

座って紙を出して、ペンを持って、さあ絵を描こうとします。

そうすると、その前の基本的なワークの時間にやっていた頭~首~背中の長さとバランスが一瞬にしてくずれてしまいました。

なぜでしょう?

私たちは何かをするときや、何かに働きかけるとき、それが自分にとって大事なことであればあるほど、その対象となる物のほうに意識がいって、自分自身への意識がおろそかになりがちなんですね。

絵に集中しているのだから仕方がない、と思われるかもしれません。

でもそうでしょうか?

レッスンでは、もう一度、自分自身全体を思い出し、そこから絵に働きかける、ということを、やってみました。

「自分自身をまず調整する、ということですか?」
「調整する、というと、何かやりすぎてしまうかもしれないので、今のありのままの自分自身を認識しなおしてみる。という感じでしょうか?」

そうすると、自分と、対象物との関係性がクリアになってきます。

今回のレッスンの場合は、
「細かいところがみえてきて、細かいところが描きこめるようになった。
より集中できるようになった」
と、生徒さんは言われました。

別の回の、同じく絵を描くレッスンでは、
自分自身を認識しなおすとき、
「体が、胴体も、頭も、立体であることを思い出してみて。体は前と後ろだけではないですよね。側面もありますよね。」と、言葉と手でアドバイスしてみたら、

「視野も立体的になりました。対象物が立体的にみえてきました!」

と言われ、描く絵も変わってきました。

絵を描くことだけでなく、ほかのことでも、人との関係にも応用できると思います。

まず自分自身に意識をむけ、そこから相手にはたらきかける。

よかったら、いろいろな場面で、試してみてください。

—–

写真は、我が家(鵠沼スタジオ)の屋根の上に、大家さんが椰子の葉をのせて日よけを作ってくれたところです。なんだか南国みたいになりました。

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