カテゴリー別アーカイブ: アレクサンダー・テクニーク

ニューヨークから先生が来日!(2)

きのうはアン・ワックスマンさんのレッスンを受けたおかげで、だいぶ、ぼーっとした一日でしたが、おかげで今日はすっきりと、早朝に目覚めてしまいました。ひさしぶりの早起きですが、さわやかです。

きのうのレッスンは、同僚教師の和子さんと一緒に受けました。お互いに教師役/生徒役になって、ワークするところを見てもらおうと思っていたのですが、結局そこまでに至りませんでした。それぞれ自身のワークをしてもらって時間になってしまいました。

アレクサンダーテクニックは「自分自身の使い方」を観るワークですが、
教えることにとっても、
教師自身の「使い方」が、生徒さんに教えるときの鍵になるのです。
教師自身が自分を固めているままだと、生徒も緊張から解放できません。
私自身が「やりすぎ」から離れていくプロセスが、生徒さんに伝わるのです。

自分でそんなにやりすぎていないつもりでも、やりすぎているんだなあ、
ということを、ひさしぶりにレッスンを受けて、あらためて感じてしまいました。

今日もレッスンを受けるので、今日こそはワークするところを観てもらえるかな?

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ニューヨークから先生が来日!

ニューヨークから、アン・ワックスマンというアレクサンダーテクニックの先生が来日しています。彼女はもう20年教えているベテラン先生です。
来日は、3回目ですが、前の来日は9年ほど前でした。

今朝、彼女のレッスンを受けてきました。
なので、ぼーっとしています。

アレクサンダーテクニックのレッスン受けたはじめの生徒さんがよく、「眠くなる」とか「ぼーっとしてしまう」と言うことがありますが、それを、ひさしぶりに体験しています。

アンさんから習ったことについては、できれば後でもう少し書きたいです。

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「教師」という立場

このブログは直接的にアレクサンダー・テクニックについて書くということとは、少し違う方向、でもアレクサンダー・テクニックとつながりはある方向、に展開していっています。
ひとりよがりでなければいいのですが。。
よろしければもう少しつきあってください。

きのう、私にとってアレクサンダー・テクニックを教えてる意味について、
次のようなことを書きました。

誰が何をいおうと、どんな情報があろうと、自分の身体を自分で信頼できる人、
自分の感受性を自分で信じられる人、自分で考えて自分で行動できる、
そんな個性的な大人に、みんながそれぞれなれれば、世の中もっと楽しくなる。

そういう人を育てる教師になるために、考えないといけないなぁと思うのが、
「教師」っていう立場についてです。

「教師」っていう立場は、私が好むと好まざるとにかかわらず、
「生徒」という立場からみて「上」に立ってしまう、ということです。

私なんかはそんなカンロクがあるタイプでもないし、声も大きくないし、
しゃべるのも下手だし、
ワークショップのオープニングではいまだにいつもオロオロしてしまうし、
どっちにしてもそんな「上」に立てるタイプじゃないし、、
と、思ってしまうことも多いのですが、
そんなことに関係なく「教師」として人に接する以上、
「上」に立ってしまうのです。

たとえば教師であるときの私が言うことは、
ほんとはそうじゃないかもしれなくても、正しいことに聞こえたり、とか、
ほかにもいろいろあると思います。

私がもう一つ学んでいるプロセスワークというのがあるのですが、
そのなかでの考え方で、教えるということを考えるときに大変役に立った考え方があります。
プロセスワークでは、そうやって立場によってできてしまう上下関係のことを、
「ランク」といいます。
(逆には生徒の立場は生徒の立場の「強み」があるから、
教師と生徒の両方に、お互いにランクがある、なんて言います。)

そして、
大事なことは、ランクをなくそうとすることではない
ランクは、なくならない
大事なことは、ランクがあるってことを、自覚することだ

と、言います。

このアイデアを聞いたときには、ほんとに、目からうろこでした。

それまでは私は、
「そんな『上』に立つのなんて私はキライだから、
私はそういうタイプの先生にはならないよ」
という態度だったのです。
でもそうすると、自分では自覚なしに上に立っていて、
自分では自覚なしに人になにかを押し付けているタチの悪い人になりやすいんですよね。
そして、そのことによって相手(この場合では生徒さん)が悩んでいても、
「それは、その人の問題だ」という結論にしてしまったりしてしまうのです。

それぐらいなら、自覚的にしっかり「上」に立って、
(別にえらそうにする必要があるという意味ではなくて)
その立場としてどうやって自分と相手を尊重して、信頼できる関係をつくれるか
ということを考えたほうがいい
ということです。

そういうことによってこそ、「教師」も「生徒」も、お互い成長できて、
冒頭に書いたような

誰が何をいおうと、どんな情報があろうと、自分の身体を自分で信頼できる人、
自分の感受性を自分で信じられる人、自分で考えて自分で行動できる、
そんな個性的な大人

に、みんなでなっていけるようになる、と、思っています。

たいへん難しいことですが、
このことについては考えつづけていきたいと思っています。

追伸)
プロセスワーク関係者の方、これを見ていたら、「ランク」について補足とか、
参考本の紹介とか、していただければ、たいへんうれしいかも?

また「セルフラーニング研究所」の平井雷太さんの考え方にも、
たいへん参考になり考えさせられるものがあります。

本の玉手箱
「新・子育て廃業宣言」
セルフラーニングシステム」とは、一言で言うと”教えない教育”である。

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私がアレクサンダー・テクニックを教えてる理由

『キラーブランドの始まりは、路地裏のお店から』という本を読んで、
自分がアレクサンダー・テクニックを教えてる意味について考えました。

この本は東海地方の若者男子に大人気のメガネブランドのオーナーが書いた本で、自分の会社や商品を、どう「ブランディング/ブランド化」したかについての本です。
東海地方とか若者男子のファッションとか「ブランド化」とか、私には関係ない世界だなと思ったのですが評判になってる本みたいだったので読んでみたら、
すごくおもしろかったし私にもとても関係があった!

「ブランディング」とは、「らしさ」を追及することだった。

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ルシア・ウォーカー・インタビュー2003年5月8日 東京にて はじめに

ルシア・ウォーカーさんと。photo by Tomoko Uehara ルシア・ウォーカー(Lucia Walker)さんに私が最初に会ったのは、教師養成コースでトレーニングを受けていた最後の年、卒業する少し前の1999年の6月でした。そのとき彼女は始めて来日して、3週間、私たちのコースのゲストの教師として来られました。評判ではルシアは、ご両親もエリザベスとディックというアレクサンダー・テクニークの教師で、しかもそのご両親はF.M.アレクサンダーから直接習った先生のうちの数少ない生き残りということで、「なかなかすごい人らしい」という評判でした。

 会ってみたら、おどろくほど「ふつうの人」というか、等身大の人というか、生徒たちのなかに紛れてしまうほど、自分を特別に見せない人でした。しかし3週間ほぼ毎日会ううちに、彼女が教えるときとても明確な意図を持っていて、それを、その人にそのとき必要なだけ明確に伝えてくれるすばらしい先生だということがわかってきました。。そしてそれを、特別なものとして伝えるのではなく、ひとりひとりが使えるものとして教えてくれる先生でした。

 ルシアは、コンタクト・インプロビゼーションというダンスを踊り教えるダンサー/ダンス教師でもあります。彼女はその経験も生かして、瞬間瞬間に気づきをもつことと、動きの関係についての、実践的な教え方をしてくれます。

 最初に来日してから、ルシアがほぼ毎年来日してくれるようになったのはありがたいことです。今回、2003年の5月、ATA アレクサンダー・アソシエイツの招きで来日したとき、私の教室にも来ていただき、近くの大塚公園でインタビューもすることができました。インタビューは、通訳のヘルプを兼ねたほかの生徒二人と一緒に木のテーブルを囲みながら、なごやかな雰囲気で行われました。


・その1

「人はアレクサンダー・テクニークについて語るとき、よく『体をとおして全体に働きかけるでしょ』と言ったりするよね。でも私たちが学ぶなかでは『肝心なのは考えだ』とたたきこまれるのよね。さていったいアレクサンダーの入り口はどっちなのかしら?体なのかしら?それとも考えなのかしら?」

・その2

「私は私がやっている教え方が決してだた一つの教え方だとは思っていないし、一番いい教え方だとも思っていないの。それはただ、私がやっているやり方なの。」

・その3

「学び始めた頃、もし自分の癖を取り去ってしまったら、個性というものはなくなってしまうのではないかと、少し心配だったの。でも学ぶにつれわかったことは、よけいなものを取り去るにつれて、もっとはっきりと力強くその人が現われてくるということだった。」

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ルシア・ウォーカー・インタビュー 2003年5月8日 東京にて その1

 ールシアはどういうきっかけでアレクサンダー・テクニーク(以下AT)を学びはじめたのですか?

 思い出してみるわね。一番の理由は、もっと自由に動きたいということだったと思う。ちょうど、ほぼ同じころに、ダンスに興味を持ちはじめていたから。最終的に、あるダンスのフォームを教わった。それもまた、よい使い方を見るということだった。がんばって動くというよりは、動きのほうへ解放されていくということだった。そして、太極拳というものがあった。太極拳は、もう少し機械的でないもので、また、もっとエネルギー的な次元の動きだった。それで太極拳も習ってみた。何かの拍子に、ほんとうに違う状態に入ってしまった感じがしたときのことを今でも思い出せる。いつもよりずっと軽くて、満ちていて、ずっとパワフルな感じだった。それまでATのことをいくらかは知っていたけど、それほどには知らなかった。でも、そのとき突然理解したの、たぶんATがめざすものもこういう状態なんじゃないかな、って。それで急に興味をもちはじめたの。もしこういう状態にもっと楽に到達できたら、と思ってね。

 もうひとつ、動きに興味をもちはじめる前に、ATの教師のトレーニングをやってみようかなと思ったことがあったの。何をしたいのか自分で本当にわかっていたわけではないんだけれど、私は前から教育に興味があって、児童教育のトレーニングを受けていたことがあるの。でもやってみて、あまり私がやりたいことではない感じがした。それでも学びに関することには、いつも興味を持っていた。そして ATが、とてもおもしろい学びの方法に見えたの。

 ー学びつづける過程で、学びつづける理由は変わりましたか?

 変わったともいえるし、変わらないともいえるわね。たぶん理由の説明のしかたが変わっただけなんじゃないかな。これは教えるときによく話すことなんだけれど、どうしたら人間になれるか、なんていうことをよく話すの。人間であるということは、ほんとうにかけがえのないことだけど、ある意味とても私たちにとって難しいことなのよね。だからどうしたら全体的な人間になれるか、そして生きている意味をまっとうできるか、というようなこと。まぁ、それがどんなことか、少しでもわかりかけることができたらね。

 そして私は教えるプロセスのなかで、その人たちが自分自身をより全体的に表現するようになっていくのが見えるのが好きなの。これが一番私が好きなことかもしれない。私自身も自分自身をより全体的に表現するようになっているのを感じて、同時にほかの人たちも同じようにそうなっていくのを見るのが好きなの。

 ー個人的な経験として、ATを学ぶことが役に立ったと思われることはありますか?

 ええ。まず踊り方を学ぶ助けになったということは、たしかに言えるよ。それに、なぜ自分が踊りたいかを理解する手助けにもなった。そして、ああ、とてもたくさんのことがあるわね。自分がもっと幸せになる助けにもなったと思う。でも難しいけれどね。長い時間のなかで、もしそれがなかったらどうだったかなんてこと、わからないもの。でも確かにATの原理は自分が人生に興味を持ち続ける方法をあたえてくれたと思う。それはつまり、知覚的な喜びということだと思う。何でも起こっていることのなかにある喜びを感じられるということだと思う。

 ールシアはATのほかにもいろいろなことをやっていると思うんだけれど、ルシアにとって、あなたがやっているほかのことと ATはどう関係がありますか?

 私はATのほかにたくさんのことをやっているからね。

 ーそれはATだけでは求めているものが得られなかったから?

 どうかしら。(考える)でも、そうね。でもそういうものをはじめからATに求めていたわけでもないし。ATが十分でない、というふうには思わなかったよ。むしろATが、ほかの勉強などにもっと興味を持たせてくれたり、学べるようにしてくれたのよね。

 ダンスやコンタクト・インプロビゼーションは私にとって、とくにコンタクト・インプロビゼーションに関しては、ATとお互いにサポートしあっていると思う。どちらかを学んでいなくて、どちらか一方だけを学んでいたということを、想像することができないもの。

 個人的なレベルでは、中国医学、とくにファイブ・エレメント・アキュパンクチャー(五行鍼灸)という、イギリスで発展した鍼灸の形態があるんだけれど、それに私は助けられている。どんなにこれに私が助けられているか、と、いつも思う。そしてそれはATにはないようなやり方なのよね。でもその一方で、この方法にいつも私はフラストレーションも同時に感じるの。これは治療であって、介在者が必要だというところでね。何かやってくれる人が必要だということになるから。それで、自分にとってどれだけATのありようが大事かということに気づかされた。 ATも、たしかにだれかほかの人との交流のなかで学ぶのだけれど、そのなかで、自分で自分のために何かを発見しているということがわかるからね。

 でもおもしろい話があって、治療を受けはじめたころ、治療してくれた人が話してくれたことなんだけれど、彼女はATを知っている人なのだけど、エネルギーも、流れていき方の習慣を持っているんだって。そしてその習慣から解放されるためにはサポートが必要なんだそうです。私はこの鍼灸士との関わりからは、すでに知っていたことや新しいことや、いろいろなことをたくさん学んだ。

 もうひとつ、個人的にも、教えることに関しても、とても自分の支えになっていると思うものがあって、同時にATがそちらを学ぶための大きな支えになっているとも言えるんだけど、それは、 「NVC-非暴力コミュニケーション」と言われている方法です。これは、とても、今の瞬間に関することなの。これは、コミュニケーションに関することでもあるし、違いをあつかうためのことでもあるんだけれど、同時に、まずは人とつながることであって、自分自身とつながることなの。これをATと一緒に学ぶことは、ほんとうに私自身に役立っている。言語コミュニケーションにおける習慣にものすごく気づかされるよ。

 ーそれは言い表し方にかんするモデルなんですか?

 そうね、ある意味では言い表し方に関することね。でも私が学びつづけ、実践しつづけるにつれて、たしかにこれは言葉のことではあるんだけれど、このモデルのなかでは、評価とレッテルというものが、私たちの言葉における暴力だと言っている。よい評価であってもね。誰かを何か固定したものなかにおさめてしまうわけだから。でも、これは言葉というよりむしろ態度に関することなの。自分が自分に何をしているか、話したりコミュニケートするときに、どういう意図を持っているかとかいうことなの。学びつづけるにつれて、だんだんそういうことがわかってきた。それで、少し楽になった。だって言葉のパターンを変えるのは、すごく難しいからね(笑)。実際、言葉の背後にほんとうには何があるかということを見ることができるようになってきたら、起こることも変わってくる。

 そして、ダンスに関しては、ずっと教えてきて、今でも教えているし、自分でも踊っている。それがとても助けになっている。

 鍼もNVCも、学びはじめたころ、これが私が職業にしたいことかもしれない、と思ったことがあった。どちらのときも、すごく興奮していたのだけれど、でも「いいえ違う。たしかに私がこれを学ぶのをやめるということは考えられないけれど、私が仕事としてやりたいのは、やらなくちゃいけないのは、アレクサンダー・テクニークだ」と思ったの。少なくとも今のところはね。

 ー(一同)それはどうしてですか?

 それが私が学んできたことだからというのと、それと、ティーチングという要素が入っているから。教えるということがあって、人が学んで、私も学ぶ、そういうことが、継続的なプロセスのなかで起こるから。NVCもそれは同じね。ATは触れるということがあるから。言葉以前のレベルで、身体的なコミュニケーションがあるから。これが私にとってはとても大事なことなの。それがどういうことなのかは、わからないのだけれど、同時に私はたしかにわかっている。これはとても実際的なことなの。私が言っているのは、毎日の生活のなかのこと、という意味での「実際的」ということだけではなくて、とてもフィジカル、身体的という意味で実際的と言っているの。言葉というのは難しいのよね。「身体的」という言葉を使うと人は、「じゃあそれは感情的なことではないんだね」「精神的なことではないのね」なんて言うけれど、そういうことではないと思う。これはたぶん私の信念なんだけれど、身体ということをつきつめていくと、人のそのほかのすべての層をも表現するものとなっていくと思うの。だから、分けて考えているわけではないし、分けられるものでもないの。身体がより澄んだものになって、はっきりしてくると、すべての味わいのあることがらが身体を媒体にして流れ出てくるようになると思っている。

 ー私もそこのところに興味がある。ATの身体的な側面というのが、とても貴重だと感じる。でも身体的なところから入っても、身体的なところだけに影響するわけでなくて、分けられないから、 そこから入って心理的なところや精神的なところに影響していくというその可能性にすごく興味がある。それがどのように働いているんだろうというところを、もっとわかりたいなと思う。

 その前に、さっきの質問、なぜアレクサンダー・テクニークと言われるものを私がやりたいのかについて、最後まで答えるね。 その人全体という考え方に基づいているからということもあります。そして、過去に起こったことを分析したりするのではなく、今起こっていることを観察するという考え方に基づいているから。アレクサンダーの中心的な原理として、今していることに目を向けるということ、そしてそれは、もし変えたかったら変えることができるということがある。私はこの原理がとても好きなの。 そして、言葉やコミュニケーションについても問いをなげかけている。これも興味深いところです。

 そして、さっきの身体的ということに関しては、私はいつも、人がこういうことについて「そうそう!」というのを聞いて、おもしろいなと思うの。 私がいつもアレクサンダー・テクニークという職業の難しいと感じることがあるのだけれど、それは、ほかのものと関係をもつことにとても抵抗があるということです。英国では特に、そういう傾向があることによってダメージを受けていると思うんです。「自分たちがやっていることは代替医療じゃない。自分たちがやっていることは医療ではないし、治療でもない」「私たちは大学や学校では教えない。単位を認めたり、試験をしたりすることはできないから。」「私たちはそういうものとは違う」というふうに言う。

 たしかに違うよ。だから私はアレクサンダー・テクニークをやってるの。そういうふうに、ほかのことには収まりきらないことだから。それでも私は、共通点を認識できないというのは悲しいことだと思う。共通点を認識することが、今もっともっと必要になってきていると思う。だから、人によってはボディワーカーとして認識されるのをよしとする人もいる。いわゆる「ボディワーカー」とされているものにね。私はその言葉は好きではないけれど、でももちろん、体にはたらきかけている人も全体に関心があるのよ。体だけに関心があるわけじゃない。「ボディワーク」であれ何であれ、体だけに関心をむけているものはほとんどないと思う。ワークによっては、西洋医学のように、介入したり直したりするという意味で、より機械的なアプローチというのはあると思うけれど。だからアレクサンダーはいつも、「私たちはもっと間接的なアプローチでやるべきだ」と言っていた。だけど多くのほかのセラピーも間接的なアプローチなんだよ。だからこういうふうな社会的な認識において、分けることは私は悲しいことだと思う。

 そうは言っても別の意味では、アレクサンダー・テクニークはほかのものとは違うものだけれどね。

 でも、そうね、人がATについて語るとき『でも体をとおして全体にアプローチしていくでしょ』と言ったりするよね。これはおもしろいなと思うの。なぜなら私たちがATを学んでいくなかではもちろん、肝心なのは考えだってたたきこまれるわけだから。そうすると、どっちなのかしら? アレクサンダーの入り口は、体なのかしら、それとも考えなのかしら?

 ATのなかでも、教え方のスタイルの違いがあって、ある面を強調していたり、ほかの面を強調していたりするんだろうね。マージョリー・バーロウはよく神経組織について話していた。神経組織というのはとても、脳と考えと体の橋渡しになるものよね。

 私自身は、アレクサンダーが言っている、「人間の反応の質」というもののことをよく話す。私がこういう言い方が好きなのは、反応というのはすべてのレベルで起こるからなの。これは身体的なレベルだとか、感情のレベルだとか言うことはできないから。

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ルシア・ウォーカー・インタビュー 2003年5月8日 東京にて その2

ールシアはどういう教え方のスタイルが好きですか?

 そうね、わからないな。いろいろな場面において、すごく尊敬している先生たちがいるし、すごく尊敬している教え方がある。私がほかの人たちの教え方を尊敬していたり、それだけでなく、うらやましいと思ったりするとき私は、「何が起こっているんだろう」と見てみることが好きなの。それで、私もそれを学んで自分のものにしたいと思うこともあるし、あるいはただ、誰かがその人なりのやり方をとてもいい感じにしているのを楽しむだけのこともある。私はほかの人びとのほかのやり方をとり入れることが多いわね。

 でもそれとはべつに私は自分がやっている自分のやり方があるということもわかっている。だから私はそのやり方が好きなんだろうね。あるいは私はそれがうまくいくと思っているんだろうね。でも私はけしてそれがただ一つの教え方だとは思っていないし、一番いい教え方だとも思っていないの。それはただ、私がやっているやり方なの。

 ーではルシア自身が教え方としてやっているやり方とは?

 状況によって違うのよね。いろんなことが混ざり合っているわね。たぶんこの、混ざり合っているということが重要なんだと思う。自分たちの反応にもう少し自覚的になれるような機会をつくろうとしているんだと思う。そしてそういう機会というのは、いろいろあるの。私はそういう機会をさまざまなものにしておくということが大事だと思っているの。だから、いつも日常の動作やパフォーマンスのアクティビティをレッスンで扱うわけではない。ときには、まったく新しいアクティビティをやるように提案することもある。何の役にも立たないようなね。あるいはただ、今起こっていることを、即興的にやることもある。

 そして、触れること、ハンズ・オンがある。私は触れることによって何が実際に起こっているかについて、ずっと研究している途中なの(笑)。たぶんそれさえも、そのときによって違うし、人によって違うのよね。わからないんだけれど、何か違うことを知るための機会を提供することだったり、何か違うことをするための機会を提供することだったりするんだと思う。そうして、可能性がひらかれる。そんなようなことだと思う。

 よく生徒はレッスンのとき、落ちついて平和な感じになったとか、静かになったとか言う。でもしばらく前まで私は、「静かだとか、平和だとかいうのって退屈じゃない?」と思っていたの。そういうのを好む人たちが多いけれど、私自身がそういうのが好きかどうかはよくわからなかったの。でもアレクサンダーは、そういうのを好んでいた。「そういう静かな、落ちついて集中できる状態、つまり、その人の理にかなったプロセスがはたらく状態にならなければ、何も学ぶことはできないし、経験することができない」というようなことをアレクサンダーは言っていた。私もそれはたしかにそうだと思う。あちこち興奮しすぎていたら、新しいアイデアでさえも、そこに入ってくるのはむずかしいよね。それで触れることみたいなことが、こういうことをとても自然な形で助けるんだと思う。同時に、教師自身がもっている質がモデルになって、そういうバランスのとれた状態になることを助けるんだと思う。そうすると、人は何かをとりいれられるようになる。人はそういうことが好きだし、より心地よく感じるのよね。私にとっては、ほかのやり方よりも触れることによってそういうことを助けることが、やりやすいの。

 ー教え方は、教えるにつれて変化してきましたか?

 (少し考えてから)そうね。学ぶにつれて変わってきたわね。今までに話したようなことであるけど、同時に、自信(あるいは、起こっていることへの信頼= confidence)というのがどこからやってくるかということとの、バランスでもある。

 ー(一同)自信が、どこからやってくるって?

 自信がどこからやってくるか、それはわからない。でも、言えるのは、より自由になって、より、今ここに存在するようになることによって、自信がやってくるということ。でもそういうことはすごく難しい。 だから教え始めた当初は教えられた型のなかで教えていたよ。とくに個人レッスンではね。だいたいの場合、それはチェアワークであって、ライダウンのワークであって、とても単純な動きのワークだった。ある意味ではそれは今でもそうは変わっていない。ただ今は、生徒が質問したり、言ったりしたことからレッスンをはじめることが多い。私自身のアイデアからというよりもね。だから、レッスンで何が起こるかはわからないことが多いの。個人レッスンはこんな感じかな。

 そしてグループに関しては、私は教師養成のトレーニングを卒業してわりとすぐにグループのレッスンを教えはじめたの。私たちはグループを教えるとき、「このグループレッスンは単なる導入です」と言わないといけない、と教えられていたの。同じグループで10レッスンぐらいするときであってもね。最初にやったクラスのノートを今見てみると、今やっていることとほとんど変わっていないのよね。でも違いとしては、今私は、「これは単なる導入です」と言うのは十分でないと思うの。1回しかクラスをやらなかったとしてもね。もしかしたら来た人たちがそこから興味を持って、もっと学びたいと思うかもしれないけれど、それでも、その地点に学びがある、ということでないといけないと思う。私は「もしこれを勉強したらこういうようなことを学べますよ」というようなことを言うつもりはないの。私が教えられていたのはむしろそういうことだったんだけれど。それより「これが今学んでいることです。ちょっとしたことだけれどね」というような感じ。

 でもやっている形としては、昔と変わっていないですね。つまり、少し説明して、少し実験する-ゲームのなかで実験して、実際的な動きのなかで実験する。ただ最初のころは、グループで触れることはあまりしなかった。それが、触れることのパワフルさに気がついて、今はそれも含めるようになった。

 ーそうすると、アレクサンダーの教師のなかでは、1回だけのレッスンで本当に何かを教えることは不可能だとか、また、たくさんの人がいるグループで本当に何かを教えることは不可能だとか言う人もいると思うけれど、ルシアはそうは思っていないということですか?

 そうね、ある意味ではそうは思っていないかもね。そういう考えの先生と話したことがあるの。だれかがレッスンを受けたいと言って来たら、彼女はその人に、一週間に2回(3回だったかしら)、来ないといけないと言うんだそうなの。1週間に2回か3回のレッスンをかなり長い期間受け続けないといけないということだったと思います。もしそれが無理だったら、それができる状況になるまで待ってもらんだそうなの。

 私はそれを聞いて、少しショックだったのよね。なぜなら私自身は、誰かが「2回ぐらいだけ、試しにレッスンを受けられますか?」と言って来たら、「どうぞ」と言っているからね。そして、2回のレッスンのなかで何かを学ぶことを、期待しているの。

 だから、私のなかには、どちらの気持ちもあるわね。もうひとつの考え方のほうも理解できるの。なぜならそこがATの、ほかのものと違うところだと思うから。ATは継続していくワークなの。ATは、「わかった。すべて理解したから大丈夫」というようなものではないの。ATは言ってみれば、永遠に変化を起こさせていき、ものごとを運んでくるものなの。

 だから、どちらとも言えるけれど、私は2回だけであっても、やってみる価値があると思う。可能性にひらいてみる価値があることだと思うから。ただそれは私がそういうふうにしているということだけであって、どちらのほうがよりよいのかはわからないけれどね。

 でも、私自身がどれほど学ぶ必要を感じているかということを考えたらね、だって、私は3年間の教師養成トレーニングをした後、16年かそこら教えているのよ。「それだけやっていまだに私が学べていないものを、4回だけレッスンに来た人がどうして学べるかしら?」と思ったりすることはあるわよね。だけどね、4回だけレッスンに来た人も実際、学ぶのよね。もしかしたらその人たちは、私より学ぶのが早いのかもしれない。もしかしたらその人たちは、私と少し違うものを求めていたからかもしれない。でもとにかく、4回だけレッスンに来た人でも学んでいるのよね。

 私が教えている夏季講習会で、大変なのがあるの。歌手の講習会で、1日に28人の歌手を、7人づつのグループに分けて10分づつ教えるの。7人づつが、お互いを観察したりすることになるわけだけど、私はそのとき、「こんなことやっても意味ない」と思ってしまったの。何の役に立つのか自分で教えていてわからなかった。でも翌年、そのなかの何人かはまた来て、「去年やったことがとても役に立ったんです」と言うのよね。またそのなかのある人はその後自分で、もっと学べるところを探したりしていたのよね。

 ー教えることをやめようと思ったことはありますか?

 教えるのをやめようと思ったこと?

 ーそう。もういいや。やめた、というような感じに。

 そういうことはなかったかな。今でもテクニークを使っているからね。教えるということは学ぶためのとてもよい場所だから、それをやめるのは想像できないな。

 ただ、「私が教えたり学んだりしたいやり方はATという形ではない」と思ったことはあった。私が尊敬する人たちがほかのことを学んでいるのを見たとき、私もそれを学びたいと思ったことはあった。でも、おかしいんだけれど、私が手放したくなかったのは、またもや、触れることだったのよね。触れることによって情報を分かち合うということだった。それ以外のことは、ほかの方法でもできると思うけれどね。触れることを使ったほかの訓練法にも、すごく興味深いものがたくさんあるんだけれど、私が知っているアレクサンダーの教師のなかでもクレニオ・セイクラル・セラピーやクレニアル・オステオパシーや、そのほかのものをやっている人などがいるけれど、そういうもののうちにも、 ATと同じ質のものはひとつもないのよね。

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ルシア・ウォーカー・インタビュー 2003年5月8日 東京にて その3

ーあなたのところに来る生徒さんたちは、どのような理由で来る人が多いですか?

 いろいろですね。ミュージシャンやシンガーの人はかなり多いですね。それと、全般的に人生に満足していなかったり、健康に満足していなかったり、また、「よくなっていくことに、自分で責任を持てるようなことがしたいんです」と言う人もいます。それと、なんというか「なにかがちょっと足りない」と感じているような人が来ているかな。もっと深刻な人もいます。背中に問題があったり、痛みがあったり、それでほかのことをいろいろ試してみたけれどどれもうまくいかなかったので、 ATが最後の頼み、というような人もいます。

 また、来る人たちのなかには好奇心という要素があったり、より意識的・自覚的になるということに興味を持っている人たちがいます。 私自身がそういうことに興味を持っているからかもしれません。 人はそれぞれがワークしたいと思ってることを自ずから引き寄せるものだというのが私のちょっとしたセオリーなの。うれしいことよね。

 この2年間、修道院で教えているということについて、あなたにすでに話したと思う。最初、シスターが私のところに個人的に習いに来ていたんだけれど、その後、そこに私が行って教えるようになった。彼女たちの学んでいる理由はいくつかあると思うけれど、彼女たちはあまり外に出ないからということもあって、自分たちの健康に自分たちで責任を持てるかどうかを気にかけている。コミュニティにいて、病気になったり弱くなったりしたくないからね。私がいいなと思うのは、そこには、ATというのは何か自分でできることだという認識があること。同時に、自分たちがやっている実践の助けにもなると思われている。 また、誰かに「あなたATをやったらいいわよ」と勧められて来る人もいる。いろいろな理由があります。

 私の母(=エリザベス・ウォーカー AT教師)は、「姿勢」という言葉がATに連想されることを嫌っていたけれど、実際、姿勢をよくしたいという理由で来る人もいます。私には、それはとてもよい理由に思えるわ。そういう人は、見た目としても、感じとしても、自分がみじめに見えるし、感じられるということをわかっていて、それを変えようとしているわけだから。ティーンエイジャーのうちの何人かはそんな感じだったけれど、すごくいい生徒たちだったよ。

 ーたとえばだれかに言われてレッスンを受けに来たような人で、ATについてよく知らなかったり、とくにどうしたいという希望がないような場合、ルシアはどういうふうにワークしますか?

 もし来るんなら何か理由はあるはずなのよ。ただ、親が子どもにレッスンを受けさせたいという場合には、私はいつも「お子さん自身が来たいと言っていますか?」と聞くの。何歳であっても、その人自身が選んで来ている場合以外は、教えたくないの。その人自身が来たいと思ってるんじゃなかったらね。

 ただ、なぜ来たいと思っているのか、よくわからないという人たちもいるわよね。実は私は、そういう人に教えるのがけっこう好きなの(笑)。そこに何かひらかれているものがあるから。ATが、可能性を探求していって、それをさまたげているものをとりのぞいていくことについてのものだ、ということを、気づかないうちに理解しているみたいな感じなのよね。

 そして、「友達がすごくいいって言っていたので来ました」という人にたいしては私は、「お友達は何て言っていたの? お友達が言っていたことのなかで、あなたにやってみたいと思わせるようなことが何かあった?」と聞いてみるの。

 つまり、私はいつも、その人がATのどこに惹かれたのかを見つけようとするの。

 で、人は何らかの理由で来るんだけど、その理由はすぐに変わることも多いのよね。

 ーたとえばどんなふうに変わるんですか?

 ダンスをとおして知り合った人がレッスンに来たの。仕事を持ちながら、ダンスクラスをやっている人ね。彼女は毎週仕事帰りにレッスンに来て、数週間経ってこんなことを言ったの。「私はダンスの助けになると思って来たんです。そしてたしかに、ダンスの助けになったんだけれど、私がレッスンに来たかった一番の動機は、私が考えていたものとは違っていたんです。一番の理由は、自分のために時間をとるということだったんです。突然それに気がついたんだけれど、すごく変な感じですね、一時間オフをとって自分のために使うというのは、人生に新しい次元が加わったような感じです」。

 ールシアのところには、とても長い間レッスンに来ている人もいると思うけれど、どんな人が長くレッスンに来ていますか?

 私は1988年に教えはじめたので、それ以来ずっと来ている人がいれば、その人が一番長く来ているということになりますね。それくらいの期間レッスンを継続してはいるけれど、ずっと私のところでではなくて、以前ほかのところで学んでいて、その後私のところに来たというミュージシャンが何人かいますね。 一番長く私のところに来ている人としては、今はそれほどしょっちゅうは来ないけれど、ある年配の女の人がいるわね。彼女は今70代なんだけれど、もう 10年以上来ていますね。

 ーその人はどうしてそんなに長い間レッスンを受けつづけているのかしら?

 彼女の電話番号を教えましょうか(笑)。

 実際、彼女の場合はおもしろいんだけれど、よくわからないのよね。たぶん私のことが好きなんだと思う(一同笑)。

 いえ、いい感じの意味でね。音楽家の人たちのことについても考えているんだけれど、その人たちはもちろん学ぶことに興味を持ち続けているから来ているのだけれど、同時に、単にそこに行けば学ぶことをサポートしてくれる人がいるとわかっているから、ということもあると思う。そういうのってけっこういいものなのよね。ときには、何か学ばなくちゃ、というのはtoo muchなときもある。べつに何も学ばなくてもいいのかもしれない。来るだけで十分なのかもしれない。

 

 つまり、彼女が私のことが好きなのかも、と言ったのは、何かを思い出すための場所だったり、何か気分が転換できる場所だったり、サポートされる場所であったり、誰か気にかけてくれる人がいる場所であったり、ただそれだけのことなのかも、というような感じ。そうするとそれは、私自身が教師として何かをコントロールしなきゃというのを手放す助けにもなるのよね。そういうことは、若い人たちを教えるときにも必要なことね。たぶん私はその人たちがなぜ来ているのかはけしてわからないのかもしれない。それでいいんだと思う。もし私が何かを与えることができているのなら。もちろん、はっきりした動機があって長いこと来ている人たちもいるけれどね。

 レッスンを受けることを止めたときに本当に進歩する人たちもいる(笑)。そして、少し経ってから「自分が本当にこれを必要なんだとわかった」と戻ってきたりするの。私自身もそうだった。教師養成のトレーニングを卒業したとき、そのときがはじまりだった。それ以前は「だれかが何か私に教えてくれるんだわ」という感じだったのが、卒業後は、「えー、私が自分でやらなくちゃいけないのね」という感じになった。それは大変だったけれど、わくわくすることでもあったのよね。

 私、長くレッスンに来る理由は何かという質問に答えたかしら。そうね、その人たちがテクニックを実践したり、学んだりすることのサポートだと思う。 それと、比較的長く続けている私たちみんなもそうだと思うけれど、ATを学ぶことによって感受性と興味が育っていくから、そうすると、それにつれてもっと学びたいという気持ちも育ってしまうのよね。私のところにレッスンに来ているミュージシャンで、はじめは4レッスンだけ受けると言っていたのに、もう4年来ている人がいるよ。それもけっこうしょっちゅう、来られるときは毎週来ているんじゃないかな。

 -アレクサンダーの原理は、「自分自身に戻る」というような考えとかみ合うと思いますか?

 もう少し言ってくれる? 自分自身に戻るっていうのは、その人の自然な…

 -そう、本来の自分。

 私の母の言葉で言うと「もって生まれたもの」ね。母は、人は協調作用とか、よい使い方とか、そういうものをもって生まれてくるという意味で言っているわけだけれど。どうかしら。そうとも言えるし、そうではないとも言えるかしら。

 私は、自分のトレーニングコースでされていた説明のされ方を、かならずしも信じてはいないの。私は子どものようになろうとしているわけではないと思う。そういう種類の自然さを求めているわけではないと思う。私が興味があるのは意識的でいること/自覚のほうだから。もちろんべつの意味で、無意識のなかの美しさというのは、すばらしいものだけれど、それは私が追い求めているものとは違うの。そして、人が ATのレッスンにそれを求めて来ているとは思わない。求めているのは意識的でいることのほうだと思う。それはとても難しいことだからね。

 でも、私が言おうとしていたのは、そう、本来の自分というのがどういう意味であっても、あきらかに ATはそれを見つける一番いい方法のひとつだと思う。 “going back”というより”coming back”ね。”going back”と言うと、本来の自分はどこかしら、とむこうのほうに探しに行くみたいだけれど、そうではなくて、ここに戻ってくるという意味なら、そう思う。そのためにATは役立つと思う。 学び始めた頃は私はそうは思っていなかったのよ。実は、もし自分の癖を取り去ってしまったら、個性というものはなくなってしまうのではないかと、少し心配だったくらいなの。

 ー私もそれは心配していました。

 退屈な機械になってしまうんじゃないかってね。若者の心配よね。私たちは自分たちの「個性」にとても執着しているからね。でもわかったことは、どういう言葉を使ったらいいかわからないけれど、もっとはっきりと力強くその人が現われてくるということだった。そうね、それを本来の自己と言っていいと思う。よけいなものを取り去るにつれて、そこにもっとはっきりとした誰かが現われてくるのよね。

 ー今日はおもしろいお話をたくさん聞かせてくださってありがとうございました。私何か聞き忘れたことはなかったかしら?

 ほかの人たちも、何か私に聞いておきたいことない? 今私はあなた達みんなに、私が聞かれたのと全く同じ質問をしたい気持ちよ(笑)。でもこんなふうに質問されるのは、いい気分ではあるわよね、何か特別な人になった気分で、そして私は何でも言いたいことが言えるんだからね。普通の対話だと、「私はこう思うんだけど、あなたはどう?」と聞いたり、あるいはこちらが聞かなくても、「何ばかなこと言ってるの?」と相手に言われたり、普通はそんなふうに反応しあうでしょ(笑)。

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An Interview with Lucia Walker May/8/2003 in Tokyo: Introduction

ルシア・ウォーカーさんと。photo by Tomoko UeharaI met Lucia for the first time in June 1999, in the last year of my teachers training. She visited our training course in Japan and taught for 3 weeks as a guest teacher. Before her visit, people had talked about her, saying that her parents were also great teachers who is learnt directly from F. M. Alexander (the founder of the AT).

My first impression of her was very ordinary person. She didn’t seem special -she almost disappeared among students. But in 3 weeks, I found out that she always has a clear intention when teaching, and communicated it to the student just as much as each student needed at certain moment. And she didn’t turn the technique into something special but as the tool we can use.

As well as being an Alexander Technique teacher, she is a dancer and a dance teacher well-experienced in contact improvisation. Using such experience, she teaches the Alexander Technique in a practical way helping us learn how to be aware of oneself/world moment by moment, and how that is related to movements.

I am grateful that she’s been coming to Japan almost every year since her first visit. This year I asked her to come to our class, and also do an interview with me. The interview was done in a friendly atmosphere at a neighboring park, sitting round a simple wooden table.


Part1

“it’s curious when people talk about it, when they say, ‘But you approach the whole thing through the body’ – because of course, in all our learning, we get drummed into us that it’s thinking that counts. So is Alexander’s doorway body or thought? “

Part2

“I certainly don’t think it’s the only way to teach, or even the best way of teaching. It seems to be the one I do.”

Part3

“I was a little worried that if I took away my habits, I would have no personality left. But what I discovered is that actually, as you take stuff away, you get a clearer and stronger ‘somebody’ appearing.”

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An Interview with Lucia Walker: Part1

– What was the reason or motivation or expectation when you started learning AT?

I’m just trying to remember…but I think my main reason or motivation was in wanting to move more freely and more accurately. I was getting interested in dance at about the same time. I was taught a form of dance finally, that was also looking at ‘good use’, and releasing into movement instead of making a lot of effort. And then there was also Tai Chi. So that was at slightly less mechanical and more energetic level, I was learning Tai Chi. For some reason I remember coming out with the feeling in a very different state — much lighter and fuller and more powerful. I knew about AT but not that much, I suddenly understood what maybe it was aiming for. I thought, “Oh, if it’s something like this, then I’m very interested.. if I could reach this place more easily”.

There was also that before I got involved in movement and was wondering about training as a teacher in AT, I wasn’t exactly sure what I wanted to do but I was always interested in education. Then I started doing a teacher training for children, and it wasn’t quite what I wanted to do. So there’s something about learning that was always interesting to me. And it seemed to be a very interesting approach to learn.

– Has the reason changed as you keep learning?

Yes and no. I think how I would describe the reason has changed a bit. I think it is probably the same reason. I often talked about in teaching about ‘how to be a human being’ , where those things that are really precious but somehow really difficult for us. So at another level, how really to be a whole person and fulfill my purpose in life…well, getting a little closer to understanding what that might be.

And I love the process in teaching of seeing people seem to get closer to expressing themselves more fully. That’s maybe what I love the most – it’s when I sense myself expressed in myself more fully, and see other people doing that.

– As a personal experience, have there been anything that you particularly felt you benefited from learning AT?

Yes, I did think it helped me learn how to dance, and helped me understand why I like to do that. And.. oh there’re lots of things.. I think it has helped me be more happy. But it’s quite hard to tell, because over time you don’t know what would have been there without. But the principles really give me a way to stay interested in life and also in something about.. I suppose it’s sensory pleasures – pleasure in whatever happens.

-You’ve been doing something other than AT as well, for example dancing. So I am curious to hear about the relationship between those other things and AT, for you. Perhaps it’s more psychological in nature, or not..

There’re quite a few other things that I do as well as AT.

-Is it like you needed those other things because AT itself didn’t offer what you wanted enough?

I’m not sure about the answer to that, but yes in a way.. but I was never expecting AT to.. Well, no, I don’t think it’s that it wasn’t enough. It’s that it helped me be more interested and available to other studies and interests.

And with dance and contact improvisation, improvisation particularly, they were supporting each other. I can’t even imagine learning one without the other.

Then at personal level, what’s helped me a lot has been Chinese medicine, specifically ‘Five Elements Acupuncture’ – it’s a particular form of acupuncture. I’ve been curious about how that gave me or helped me so much in the way that AT obviously hadn’t. In another way I’ve also always found it a little frustrating with that, because it’s a healing practice, it’s an intervention — you have to have someone do something to you. And it did make me realize how much I valued AT being something that, even though you learn in interaction, you can find entirely for yourself.

It was interesting because near the beginning of having treatments in that, the person treating me knew a bit about AT and said even the energy has its habits running in meridians, and maybe for some reason it has got into those habits and it needs support. And I felt that.. yes, the treatment I had in specifically the relationship with the practitioner that I had really gave me something back or new or.. something else.

And then the other thing both personally and for teaching, I think what’s given me one of the biggest support (but also AT gave me great support) in learning and practicing that, is what’s sometimes called NVC, Non Violent Communication. That’s the model and it’s very much about present moment. So both in terms of communication and resolving difference, but also mainly connecting to people and also connecting in yourself, it has kind of been a really great addition to me for AT. You become extremely aware of habits of language and communication.

– So the model is about the wordings and things like that?

Well, partly it’s about wordings.. But as I’ve studied it more and practiced it more, I realize that although it is about the language, what constitutes violent language which in the model is basically judgment and labels. Even good judgment – anything that fixes somebody is violence in our language. But actually it’s more about attitude, what you are doing in yourself, and what your intention is in speaking or communicating. As I’ve gone on, I’ve realized that. And that has made it a bit easier. Because it’s very hard to change some of the word patterns. But in fact if you change, if you really see what’s behind them, it changes what happens.

And yes, I’ll add in, with the dance thing, I have been teaching and continuing to teach and perform, and that’s been a help.

With both acupuncture and NVC, it has occurred to me early on in my time with them, whether that would be something I wanted to do professionally – train to do and then do that. And in both cases which I found quite exciting, I thought, “No, it isn’t – these things I can’t imagine my life without, but the thing I really want to do as my work or that what I have to do, is AT” – well, at the moment.

– (everyone) Why?

Partly because it’s what I’ve learned, and I know. Partly because it has these elements of teaching, and people learning and me learning as a continuous process. So does NVC. It has touch and physical communication in it which goes underneath language and thinking, in a way that’s really precious to me. I think I discovered I communicate things that way, that I hardly know what they are but I do know what they are. And in that way it’s very practical. I don’t only mean in everyday-life practical, but I mean it’s very physical. There’s that difficulty with language, when people say ‘physical’, they think, “Ok, then it’s not emotional, it’s not mental, it’s not spiritual”. I suppose (and that’s part of my general beliefs) that what the physical does, what we can do, is refine the physical so that it’s more capable of expressing all the other layers of the person. So It’s not about separating, because they’re not separable. But if they’re more clear or more clean or more something, then all this, the juicy stuff, can get through.(laugh)

– I myself am interested in that, I think it’s precious that AT has this ‘physical’ aspect to the approach. But that approach doesn’t only influence the physical aspect — The influence goes over to the psychological, or spiritual or other levels (because those are undividable). I’m very interested in the potential of what AT can do. I’d like to know more how that works.

Maybe just to finish the other question about why do I want to do what’s called AT; it’s because it’s based on the idea of unity of a whole person and observation of what is happening now, rather than analysis of something that happened before or.. anything else. It’s main principle is about “What are you doing now that you could change if you wanted to”. I really enjoy that — practicing that teaching. And because it also has questions about language and communication that interest me.

About the other, the ‘physical’ thing; I mean I’m always curious when people say “Oh, yes”. Well, one of my difficulties with Alexander profession is that it’s been so resistant to connecting to any others. Because it says, in England especially, I think it’s done a damage by that. “We’re not going to go to the alternative / complementary medicine fair — we’re not a medicine, we’re not a healing.”, “No, we are not going to go into universities and schools because we can’t do creditations and exams. We are different”.

So it does have, and that’s why I love it, this way where it doesn’t fit with other things. But I think it’s a pity not to recognize common ground. And that’s becoming more and more necessary. So some people prefer to be recognized in-with body workers — what’s called “body workers”. I don’t like the term, but of course people working with the body are also very interested in whole parts — they are not just interested in the body. Almost nothing is [interested just in the body]. Some people have a more mechanical…like western medicine is somewhat more mechanical in terms of intervention and fixing, and that’s why Alexander was always going, “We need to be more indirect”. But many other therapies work indirectly. So I think it’s a pity to separate at that kind of social and recognition level.

But at another way, it is different.

But yes, it’s curious when people talk about it, when they say, “But you approach the whole thing through the body” – because of course in all our learning we get drummed into us that it’s thinking that counts. So is it? Is that even … is Alexander’s doorway body or thought?

Possibly slightly different styles of teaching emphasize one more than another. And some people talk about it in a way…I think Marjory Barlow used to talk a lot about the nervous system, which is of course quite a bridge between brain, thinking and body. I often talk about what Alexander says about the “nature of human reaction”. I like words like that because reaction happens at all of those levels, and you can’t say that’s just physical or emotional.

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