カテゴリー別アーカイブ: 緊張と脱力

あがり症(続き)

今日から音楽大学での新しい期がはじまりました。
受講者が入れ替わって、新メンバーで、今日から毎週のクラスです。

去年は数名だった声楽科の学生さんが、今年は一番多く、次がピアノ。残りがフルート、トランペット、ドラムスなどの学生さん。ありがたいことに定員以上のお申込みがあって抽選になったようです。去年に参加した学生さんが「来年も参加します!」と言ってくれていたけれど、抽選から外れちゃったかな。

新しい学生さんたちは、アレクサンダー・テクニークについて聞いたことがないという方がほとんどでした。受講動機を聞いてみたら、「本番であがってしまうのをどうにかしたい」というようなことを言っていた人が、やはり多かったです。「心を強くしたい」と言っていた人も。

というわけで、先日書いた「あがり症」の話の続きです。

先日の記事では、「あがり症」「人前での緊張」に対処するためには、ふだんのことを見直してみることが有効だということについて書きました。実際私は、ふだんのことを見直すことによってあがり症が軽減する例をとても多く観てきています。でも同時に、人前で立ったときの本番で起こることをとらえ直すことも、やはり役に立ちます。

・緊張している自分を冷静に見てみる。自分が緊張しているということに反応するのをやめてみる。

本番で緊張するというのは、実はあたり前のことです。
「部屋で鼻歌を歌っているのと同じように、ステージでも歌えたらいいのに」と思ったことがある人はいると思いますが(私はそう思ったことがあります)、
実際は、お客さんたちがわざわざ時間を取って、場合によってはお金を払って、聴きに来てくれている特別な時間であり、場所なので、やはりそれは、緊張するに値するシチュエーションなんですよね。その大切さをしっかり認識してるから、その時間を大切に思っているからこそ緊張するんだと思うのです。なので、「家でと同じように」「ふだんどおりに」というのはできないのがあたり前だと思います。「ふだんどおりに演奏しなくちゃ」と、無理に思わない方が自然だともいえます。

そう考えたら、緊張する自分を否定しなくていいんだな、と思いませんか?

ああ、緊張しているなあ、と思いながらも、それを変えようとするのはやめて、

緊張している自分だけど、今、私はこの歌を歌いたい(または演奏したい、パフォーマンスしたい、話をしたいetc)と決めた。
聴いてくれてる人たちもいる。
緊張しているままで、心をこめて歌おう。
と。

その歌(演奏、パフォーマンス、お話)が伝えようとしているものは何だっけ、というのをもう一度思い出して。思い描いてみて。

「ふるえ」が起こっているかもしれない。
でもふるえているのは、固まっている自分をほぐそうとしているのかもしれない。
じゃあ、ふるえているのにまかせてみよう。

ただ、足の下に床があることだけ思い出してみよう。

ふるえていても、足下にはちゃんと自分を支えてくれている地球がある。

そんなふうにして歌って(演奏して、パフォーマンスをして、話をして)みると、
実は、家で歌うときと同じようにはできないけれど、
家で歌うとき以上の演奏ができることだってありえるのです。

「いつでもふだんどおりに」という以上の可能性が、そこにはあるのです。

「あがり症」「緊張する」ということを、もう一度体の面から観てみます。

体の面から言って、大事な本番に臨むことによってアドレナリンという神経伝達物質が出るので、その影響で、意識が繊細になって、ふだん気づかないようなことに気づくということが起こることがあります。たとえば、本番になると、会場にいる誰かの話し声がやたらと気になったり、楽器がふだんと違うことがどうしても気になったり、会場の音の反響のしかたが気になったりしてしまい、また、自分自身の体のどこかに関する違和感が気になったりして、集中できなくなってしまったりします。

自分のなかで、あるいはまわりで起こっていることが、これからやることの邪魔をしているような気になってしまうのです。

でも実際には、そういう自分のなかの、あるいは環境にある細かないつもとの違い、それ自体は、それほどパフォーマンスに悪影響を与えているとは限らないかもしれません。

(アレクサンダー・テクニークで、「自分に対する邪魔をやめる」というような言い方をよくしますが、「自分に対する邪魔」について、ネガティブに考えすぎる必要もありません。)

むしろ影響があるのは、そういう、ふだんと違う刺激に対して、自分を固めるような反応をしてしまうときなのです。いろいろなことに気づいていても、それをシャットアウトしようとしたり、止めようとしたり、固めたりしようとしなければ、悪影響はないことのほうが多いのです。

自分について「手が汗ばんでる」「ふるえてる」「顔が赤くなってる」などが気になるかもしれません。

それを止めようとするのは逆効果かもしれません。
止めようとするのはやめて、むしろ、からだ全体、自分全体に意識をむけてみましょう。そして足元には地面があります。そこに戻ってみるとよいと思います。

* *

こんな話をすると、
「自分でもいろいろ考えたり研究したりして、頭ではわかっているのですが、やっぱり、つい、よけいなことだとわかっていても、考えてしまう」
と、さらに言われる方も多いです。

そうであれば、やはり体からのアプローチが有効。

体からのアプローチによって、体のしなやかさを取り戻し、自分の中心を思い出す。

「どうしても緊張してしまいやすい」という人は、ふだんでも、気づかずに体をずっと固めたままでいる人が少なくないです。
それにまず気づきを向け、ふだんからの緊張しすぎをほどいていくためには、言葉で一生懸命理解しようとするだけではなく、レッスンがお勧めです。このブログもそうですが、不特定多数の人に対して書かれている言葉は、ひとりひとり違う「その人」に起こっていることの実情とは、ずれることがあります。アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、言葉だけではなく体験しながら、その人自身が気づいて、自分にとってよいことを判断し、対処できるようになっていくお手伝いをします。

「つい反応してしまう」ということをしなくなるためには、自分の中心に意識をもっていって、

”起こることに対処したり反応したりするときは、自分の中心から”

と、意識してみるのがおすすめです。

でも、どうやって? と思う方は、よかったらレッスンにいらしてくださいね。

上野公園の桜。地面から見上げたところ(2017.4.12)
上野公園の桜。地面から見上げたところ(2017.4.12)
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あがり症の方に

音楽家などの方から、コンサート、あるいはオーディションなどの本番であがってしまって普段どおりに演奏できない、と、相談されることがよくあります。「ふだんは、そんなこと起こらないのに、手がふるえたり、動かなくなったりする」と。
「そんなときどうしたらいいか」ということですが、本番の「そのとき」に対処できるアイデアも、ありますが、それと同時に「ふだん」のことを見直すこともやっぱり大事なんですね。

「ふだんは問題なく弾ける」と、たいがい、言われるし、それは本当だと思うのだけれど、ふだんも実は、問題ない程度に起きているなにかがある。ふだんなら問題がない何らかのその人の傾向が、本番になってアドレナリンが出てきたときに、強調されて現われてくる。そしてそれが、自分のパフォーマンスを邪魔することになってしまったりします。

それを変えたいとか、見直したいと思うのなら、やはり、「ふだん」のことを見てみることからはじめるのが、早道なのではと思います。

たとえば演奏家は、指の動きについてはすごく意識が高いのだけど、胴体とか、足とか、首とかのことは意識したことがなかったりする人が多いようです。また、楽器を持って演奏する人でも、ひじについても意識したことがないという人もいます。また管楽器奏者で唇のことばかり意識しているという人もいたりします。

その部分での動きに「自分は問題がある」と思うからこそ、そこばかり意識するようになっているのですが、その意識の持ち方が逆効果になっていることがあります。問題があるからこそ、その「問題」からいったん離れてみて、全体に戻ることが、問題解決の早道であることが、実際は多いのです。

自分という体全体を使って楽器を演奏しているときに、意識が、一部分だけに偏っていると、サポートをなくしてバランスを崩してしまい、無理やりバランスをとるために体を固めざるを得なくなってしまったりします。体を固めることが必ず悪いというわけではないけれど、身体の一部分だけを固めて、それ以外の部分と切り離されているような状態が長く続くと、苦しくなってしまう場合が多かったりします。

そういう傾向が大問題になっているときではなくて、問題と言えないほどのわずかな傾向であるときのほうが、変えることがしやすいかもしれません。

私のアレクサンダー・テクニークのレッスンではそういうことをサポートします。

ときによっては楽器をかまえる以前のところで、ただ座るという動きをやってみたり、「楽器をかまえる」というのをひとつの動きとして見直してみたりもします。

そして、その人にとって簡単に弾けるフレーズを弾いてみる、そして苦手なところを弾いてみる、それぞれ何が起こるか見てみます。その人、その時によって、どこがクリティカル(=その人にとって決定的な瞬間)かは違うので、お会いして実際に立ちあいながらライブですすめていきます。

そのうえで、人前でパフォーマンスしてみると、緊張の度合が減っているということはよくあるのです。

「ふだん」のことと、人前に立ったときなどの本番の状況のことと、両方を見てみるのが、あがり症や、緊張への対処のワークとして有意義だと思います。

→あがり症(続き) 本番のとき

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでは、東京と神奈川で個人レッスンを、それぞれ週に3日づつ行っています。
レッスン・スケジュールとお申し込みはこちらです。

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「力を抜く」ことのむずかしさと、「方向性」

 力を抜くことについて、以前、書いて、すぐに続きを書くつもりが、時間が経ってしまってすみません。

「力を抜く」ことが大事なことだ、と、最近よく言われるようになりました。

たしかにそうなのですが、「力を抜こうと思っても、なかなか抜けないんです」と、言われる方が多いです。

「力を抜く」って、けっこう難しいことだと、私も思います。

「力を抜こう」としている人がよくやっていることに、力を抜こうとして体を押しさげてしまっている、ということがあります。

肩を下に押し下げてしまっていて、その結果、肩の下にある肋骨や、肺を狭めてしまっていたり、お腹を縮めてしまってことが、よくあるのです。

そうすると、呼吸がしにくくなってしまいます。

声を出そうとするときや、息を吐こうとするとき、管楽器を演奏しようとするとき、「力を抜こう」として、よけいに肺を圧迫してしまっているケースは、意外と多いのです。

たしかに肩があがってしまっていては、よくないというのはそのとおりなのですが、上がらないように、下げていては、それもまた、逆効果です。

肩は、上げずに、かといって、下げずに、自然に体の中心から、鎖骨が左右に伸びていった先にあるがままに、まかせておいたらよいです。横方向を思うといいです。

なぜか「力を抜く」って、下向きのイメージがあるようですが、そうではないんですね。

横向きもあるし、上向きもあります。

必要以上に下向きにもっていこうとすると、よけいな努力が必要になってしまいます。

アレクサンダー・テクニーク教師のひとり、イムレ・トールマンさんは、「ぶらあがる」という言葉を使っていました。「ぶらさがる」ではなくて、「ぶらあがる」。

とくに背骨のことを考えるときには「ぶらあがる」という言葉は、なかなかよく表しているのではないかなと思います。

背骨は、上向き方向(=頭の方向)にも伸びています。

棒のようにまっすぐ伸びるわけではなく、ゆるやかにS字を描きながら、上に向かって伸びています。

人間は直立して生活しているので、猫科の動物のように、頭から獲物に飛びかかったり、ジャンプしたりはしないけれど、猫科の動物がジャンプするときの背骨の可動性は、いいインスピレーションになるかもしれません。

人間の場合は、背骨が上向きに伸びていて、頭が高いところにあります。

そして人間の場合、背骨がゆるやかに上向き方向に伸びていくと、胴体は横にも広がりやすくなるのです。(鎖骨があるからかなと思います)。そして、胴体の、奥行きも出てきます。

そうすると、呼吸がしやすくなります。

胴体と手足のあいだにある、腕の関節や、股関節にも余裕ができて、手足も動かしやすくなります。

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アレクサンダー・テクニークの考え方で大事なことのひとつに、「方向性を思う」ということがあります。

いろいろな意味合いがある言葉ですが、今日書いたような状況でいえば、本来、体が自然にはたらくべき方向性を思う、ということですね。

そのときに注意することは、方向性を「思う」だけで、作り出そうとはしなくてよい、ということです。

作ろうとすると、またまた、やりすぎになってしまいます。

「思うだけ」で、よいです。

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「力を抜かなければいけない」わけではない。

「力を抜く」ことができることは大事なことだ、と、最近よく言われるようになりました。
たしかにそれはそうなのですが、「力を抜く」ことがどうしても苦手な人はいます。
そういう方に話を聞いてみると、「力を抜かないといけないんだけれど、つい、力が入ってしまって」と、なんだか申し訳なさそうに言われたりします。
まじめな人であればあるほど、そういうふうに考えられるケースがあるようです。
それでは「力を抜くこと」が、もうひとつの「やるべきこと」になってしまっていて、もうひとつのプレッシャーの原因になってしまいます。
「力を抜こう」「力を抜こう」「いや、まだ力が入っている」「まだ力が入っている」と、
まじめで、頑張る傾向のある人だと、力を抜くことでさえも、「もっと」「もっと」と頑張るための努力目標になってしまうことがあります。

そこで私は、
「力を抜かないといけない」と思うことも、やめてみましょう。
と、提案したいです。

「力を抜く」ことができることは大事なことだけど、「力を入れる」ことができることも、大事なことです。
「固める」ことも、大事なことです。

たとえば、
「怖いと思って、固めていることに気づきました」
それは、何も悪いことではありません。
固めることによって、自分を守ろうとしているのです。
怖い状況なのに、それにふさわしい反応ができなければ、そのほうが問題です。

ただ、それに「気づく」ことができたのが、よいことだと思います。
自覚していることは、役に立ちます。
自覚していれば、状況が変化して、怖い状況が去ったら、固める反応をやめることも、やりやすくなります。

そうやって、人間は、常に変化しているし、変化することができる存在です。

「力を入れる」というのも、必要なことだし、大事なことです。
力を入れることに問題があるとすれば、
・力が必要な状況が終わったのに、力をいれっぱなしになっているとき
・力が、実は使いたい対象に届いていなくて、途中でエネルギーが漏れたり、つまったりして、無駄になってしまっていて、有効に使えていないとき (アクセルとブレーキを同時に踏んでしまっているようなとき)
というようなときです。

そういうときにどうすればよいかについて、アレクサンダー・テクニークで実際的に観ていくことができます。
方向性/direction」という考え方が、そこで大事になってきます。

でもまずは、
・「力を抜かなければならない」と思うことをやめること。
・固めることも、大事な選択肢の一つ。
・人間は常に変化しているし、変化することができる存在だということ。
ということを知ることが、第一歩です。

「力を抜かなきゃ」というのを抜きにして、
自分はどんなふうに、力を使っているのかな、と、子どものような好奇心で、観察してみるところから、はじめてみたらいいんじゃないかな、と思います。

続きはこちら

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本番、楽しんでくださいね!(本番の緊張について)

今日の本番、たのしんできてくださいね。

もう本番前になったら、体のことなどは、あまり考えなくていいので、今、ここにいる自分の現在地と、自分が何をしようとしているかと、一緒に伴奏してくれるパートナーの存在を確認して、今、ここにいて、やるべきことをやる、それだけを考えていたらいいです。

大事な舞台で緊張するのはあたりまえだし、そもそも緊張は悪いものではないのです。緊張がアドレナリンになれば、もってる力を発揮できるのだから。

自分が緊張していることに気づいたら、それをただ見てほおっておく。それで、演奏がはじまったら、自分の演奏に集中したらいい。

ただ、自分はそもそもその曲のどこが好きか、それを演奏前に思い出しておくのは、いいかもしれない。でも、ただ、思うだけでいい。それを無理に作り出そうとしなくていいです。

「うまく見せよう」とか、「どう思われるか?」とか、そういうことも考えなくていい。聞いてくれるお客さんのことを思うことは、よいことだけど、そのお客さんにどう思われるか?ということまで考えると、考えすぎかもしれません。それは、こちらでコントロールできることではないのだから。

ああ、お客さんが聞いてくれてるんだな、と思って、あとは自分が今できることに集中してやるだけでいい。上手くやろうとしなくていいです。

そのほうが、結果的には、持ってる力を出しきれて、うまくいくと思いますよ。

—–

 上記は、アレクサンダー・テクニークのレッスンに来られた音楽家の生徒さんが、演奏の”本番”を前にして、不安がっていたので、送ったメッセージです。

 音楽家やパフォーマーの方はもちろんそうですが、それにかぎらず、たまに人前で話す機会があるという方でも、

 「人前で、大事な舞台で緊張してしまって、普段どおりのパフォーマンスができなくて悩んでいます」

という方は多いと思います。
私自身にとっても長いこと、かなり切実な悩みでした。
ただ楽しく音楽を楽しんだり、会話を楽しんだりしたいのに、緊張のせいでそれができない、という悩みがあったのです。

 そこであらためて、この問題に対する対策を考えてみましょう。

まず、

 1)緊張している自分に反応しない。
 2)特別な状況でない、ふだんの状況での、からだの緊張パターンに気づき、少しづつそれを手放す。

と、大まかに二つの方向の考え方が、役に立つのではと思います。

1)緊張している自分に反応しない。

 「緊張する=いけない」
 と思っている人は多いと思うのですが、緊張することは、それ自体は悪いことではないのです。

 緊張するのは、今やろうとしていることがあなたにとって大事なことだからです。それで、注意力を注ぎ込む必要があると、脳が目覚めて、指令を出しているのです。それによって、アドレナリンが分泌し、注意力は向上するのです。その注意力をパフォーマンスに向ければ、パフォーマンスの向上に役立てることができます。

 では、それなのになぜ、緊張してうまくいかなくなってしまうのでしょうか?

 「あ、また緊張してしまった。顔が赤くなってるし、こわばっている!手も固まってしまってうまく動かせそうにない。これじゃダメだ!どうにかしなくちゃ!」

 緊張している自分に気づいたとき、こんなふうに、あわててしまう。。
 心当たりがある人は少なくないと思います。

 アレクサンダー・テクニークでは、「刺激に対してすぐに反応しない」ことが大事だと、よく言います。「刺激」というと、通常、外から来た刺激をさすことが多いと思いますが、自分の中で起こっている「刺激」に、自分が反応している場面も、実はたくさんあります。

 自分の中で起こっている「緊張」とか、それによって起こる、体のこわばり、などに気づいても、それに反応しない、ということを、やってみられるでしょうか。
 「どうにかしなくちゃ」「修正しなくちゃ」「リラックスしなくちゃ」とすぐに考えるのを、やめてみましょう。

 そもそも緊張しているときには注意力も高まっているので、ふだんなら気にしないような些細なレベルの変化にも敏感になっています。なのでそれは、客観的に見れば気にするほどの「緊張」レベルではない場合も多いと思います。自分が反応しすぎさえしなければ、全然大丈夫な場合が、案外多いと思います。

 自分の緊張反応に気づいても、それにさらに反応の上塗りをせず、落ち着いて見守って、やるべきことに集中しましょう。今、あなたはここにいて、これから何をしたいのか、緊張してもそこから離れずにいること。そうすると、自分の緊張反応も変化していきます。あせらないで大丈夫です。

2)ふだんの状況での、からだの緊張パターンに気づき、ふだんから、そこから抜けやすくなっておく。

 誰にでも、特に問題なく日常を過ごしているときでも、微細なレベルで体を固める癖があります。こういう、ふだんなら微細なレベルで体を固める癖が、その人にとって難しい状況で緊張したときに、強調されて現れてくるのです。
 緊張したり、体を固める癖があること自体は悪いことではありません。緊張しても、体を固めても、そこからまたゆるむことができればよいのです。それには、気づきをもつことが、ポイントです。

たとえば実験です。
 握りこぶしを作って、思い切り握ってみてください。
 その握りこぶしをゆるめてみてください。

 今やっていただいたような、手で作る握りこぶしと同じように、私たちは体全体、あるいは体のどこかをぎゅっと収縮させたり、収縮させるのをやめたりしています。そしてそれには無意識なことが多いのですが、実は握りこぶしと同じように、握ることができれば、握るのをやめることもできます。

 たとえば首を固めること、脇を固めすぎて肋骨の動きと肺の動きを制限してしまうこと、骨盤を固めることなど、自分の固める癖を知って、そこから抜けるやり方を学ぶと、難しい場での自分のコントロールが、やりやすくなります。

 ただ、癖を知り、それを解きほどいていくことは、時間をかけてゆっくりやるつもりでやるのがお勧めです。急いでしまうと、体の位置を変えるだけで終始してしまい、緊張パターンは変わらない、ということになってしまうこともあります。どっしり構えて取り組むことがお勧めです。それが、結果的には早道です。

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脱力について

「脱力(リラックス)」がうまくできないという方がいます。
楽器演奏などで余分な力が入ってしまうといいます。
それで、力を抜こう、抜こう、と思うのだけど抜けないといいます。

力を抜くことって、「抜こう、抜こう」とがんばったから抜けるものではないのが難しいですよね。そう思うとかえって力が入ってしまいます。

力を「抜こう、抜こう」としているときに人がよくやることは、体に重力方向に重さをかけて、重くすることです。
「力を抜く」というのが、「だらり」と垂れ下がるイメージになっている場合が多いのですね。

腕を持ち上げられて、離したときにすぐに垂れ下がるのが、「脱力できている」と思われていることも多いようです。
でも、それがうまくできるようになったとして、演奏その他のアクティビティに役に立つでしょうか?

すべての力が抜けたら、手には何も持てないし、何もできなくなってしまいます。

楽器であれば、楽器を持っているためにまず力が必要だし、弓を動かしたり、手を動かすことにも力が必要です。呼吸の動きにも力が必要です。

「脱力」を文字通りに意識しすぎると、力を使いながら、力を抜こうとしていて、混乱してしまう場合があると思います。
必要な力と、不必要な力を分けて考えるといいと思います。

—–

「余分な力が入ってしまう」というときに起こっていることとして、体の力を抜こうとしすぎて、体がだらりと重くなってしまっているために、自分の体がうまく支えられなくなってしまっている場合があるように思います。そして、腕や肩などが自分の体全体のサポートをするという余分な仕事をしなければならず、本来の、動きをつくる仕事ができなくなってしまっているのです。

では自分の体を支えるために何が必要なのでしょう。
「支える」といっても、力でがんばって支える必要はありません。
まずは体のどこかが地面とコンタクトをとっていて、地面に支えられていることを思ってみてください。
そして、胴体を重力方向に押し下げて圧迫するのとは逆に、上向き方向を思い、胴体を長く広く使う、と思ってみてください。

この意味を知るためには、まず、仰向けに寝て、胴体の長さ広さを味わってみるとよいです。
仰向けで、胴体全体を重力にサポートされている状態でしばらくいると、最初はどこか縮めたり、固めていたところがあったとしても、しだいに、余分に圧迫したり、固めていたところがだんだんゆるんで開いてきて、もともとのあなたの体の大きさ、長さ広さを取り戻してきます。

ゆるめようとしなくてよいです。体が余分な緊張を手放して、自然にゆるんでくるのに任せればよいです。
最初はあまり変化を感じないかもしれませんが、それでよいです。

できれば膝を立てて仰向けになると、胴体~骨盤の底までの長さ広さがより、意識しやすいと思います。
(この姿勢を、”セミスパイン”といいます。)
これは、座る姿勢を90℃回転させたような姿勢でもありますね。

そう、胴体というのは、ウエストのところで終わってはおらず、骨盤の底、足のつけねのところまであるのです。
(膝を立てるのがしんどい方は、椅子などの上に膝から先を置いてもいいですね)。

しばらくその姿勢でいてから、起き上がってみてください。
立ち上がったときに、”いつも”の立つ姿勢に戻るのではなく、取り戻った背骨の長さを生かして立っていることを思うと、ふだんより視線が高く感じられるかもしれません。

寝ているときの、地面と広い範囲で直接コンタクトをもっている姿勢から、起きて地面と垂直になって、立っているときや座っているときも、このような長さ広さをうまく使えればよいと思います。

そうやって演奏や、いろいろなアクティビティをしてみると、演奏も、ほかのことも、違ってくると思います。

重力の方向だけでなく、上向き方向があり、左右の幅の方向もあり、さらには前後の幅もあります。あらゆる方向に広がりがあります。
でも、まずは上向き方向を思うことからはじめてみるとよいと思います。

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ギタリストの生徒さんのアレクサンダー・テクニーク・レッスン/必要な力と不必要な力

きのうはジャズギタリストの生徒さんのアレクサンダー・テクニーク・レッスンがありました。今日で10回目のレッスンです。
テーブルワーク(寝た姿勢のワーク)、座る立つのワークなどの後、実際的なワークの時間で、今日は、「速いカッティングに手がうまくついていかない」という課題について見てみました。
今まで、座る姿勢でどう体を使うかということや、腕全体をどう意識して、どう使うかということは、すでにやってきていて、ずいぶん楽に弾けるようになったとのことですが、早いリズムになると、うまくいかないようです。

そこで、
・腕の自由さを保ちつつ、ピックをとおして指が弦を動かす感触を意識してみる
・ダウンストロークのときは、ひじから先~親指のつながりを意識してみる
(腕全体の動きの自由さを見たときは、ひじの外側を意識しましたが、今度はひじの内側です。)
というのをやってみました。
そうすると、より力強いピッキングができ、早く動かしてもリズムが乱れません。

生徒さんは、
「今までのレッスンのなかで、力を入れちゃいけない、ということを意識しすぎていたけど、そうじゃないんですね」
と、言われました。

そうです。必要な力と、不必要な力があるんですね。
そして不必要な力をいれて体を固める癖がなくなってくると、
必要なところに力を使いやすくなっていきます。

なので多くの場合、レッスンの最初のほうでは、不必要な力をいれるのをやめることから学んでいくことが多いのですが、いつも抜くことだけが大事なわけではない、のです。

力を抜くことが目的なわけではなく、
使いたいところに力を使うために、余分な力は抜く、ということです。

そして力を抜くことだけを考えていたら、くずれ落ちてしまうので、そのためにはやっぱりそれ以前に体幹の、プライマリー・コントロールのサポートが必要です。

—–

このへんの、ギターにおいて「どう力を使うか」に関しては、ボストンのギターの先生、ジェラルド・ハーシャーさんのレッスンを受けたときに学ぶところが多かったです。

ジェラルドさんはアレクサンダー・テクニークの教師ではありませんが、アレクサンダー・テクニークを元にしたアンドーバー・エデュケーターという教育法の資格を持っているギタリストです。

私も、まだまだギター、上手とはいえませんが、ずいぶん楽になりましたよ。

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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