ルシア・ウォーカー・インタビュー 2003年5月8日 東京にて その3
ーあなたのところに来る生徒さんたちは、どのような理由で来る人が多いですか?
いろいろですね。ミュージシャンやシンガーの人はかなり多いですね。それと、全般的に人生に満足していなかったり、健康に満足していなかったり、また、「よくなっていくことに、自分で責任を持てるようなことがしたいんです」と言う人もいます。それと、なんというか「なにかがちょっと足りない」と感じているような人が来ているかな。もっと深刻な人もいます。背中に問題があったり、痛みがあったり、それでほかのことをいろいろ試してみたけれどどれもうまくいかなかったので、
ATが最後の頼み、というような人もいます。
また、来る人たちのなかには好奇心という要素があったり、より意識的・自覚的になるということに興味を持っている人たちがいます。
私自身がそういうことに興味を持っているからかもしれません。
人はそれぞれがワークしたいと思ってることを自ずから引き寄せるものだというのが私のちょっとしたセオリーなの。うれしいことよね。
この2年間、修道院で教えているということについて、あなたにすでに話したと思う。最初、シスターが私のところに個人的に習いに来ていたんだけれど、その後、そこに私が行って教えるようになった。彼女たちの学んでいる理由はいくつかあると思うけれど、彼女たちはあまり外に出ないからということもあって、自分たちの健康に自分たちで責任を持てるかどうかを気にかけている。コミュニティにいて、病気になったり弱くなったりしたくないからね。私がいいなと思うのは、そこには、ATというのは何か自分でできることだという認識があること。同時に、自分たちがやっている実践の助けにもなると思われている。 また、誰かに「あなたATをやったらいいわよ」と勧められて来る人もいる。いろいろな理由があります。
私の母(=エリザベス・ウォーカー AT教師)は、「姿勢」という言葉がATに連想されることを嫌っていたけれど、実際、姿勢をよくしたいという理由で来る人もいます。私には、それはとてもよい理由に思えるわ。そういう人は、見た目としても、感じとしても、自分がみじめに見えるし、感じられるということをわかっていて、それを変えようとしているわけだから。ティーンエイジャーのうちの何人かはそんな感じだったけれど、すごくいい生徒たちだったよ。
ーたとえばだれかに言われてレッスンを受けに来たような人で、ATについてよく知らなかったり、とくにどうしたいという希望がないような場合、ルシアはどういうふうにワークしますか?
もし来るんなら何か理由はあるはずなのよ。ただ、親が子どもにレッスンを受けさせたいという場合には、私はいつも「お子さん自身が来たいと言っていますか?」と聞くの。何歳であっても、その人自身が選んで来ている場合以外は、教えたくないの。その人自身が来たいと思ってるんじゃなかったらね。
ただ、なぜ来たいと思っているのか、よくわからないという人たちもいるわよね。実は私は、そういう人に教えるのがけっこう好きなの(笑)。そこに何かひらかれているものがあるから。ATが、可能性を探求していって、それをさまたげているものをとりのぞいていくことについてのものだ、ということを、気づかないうちに理解しているみたいな感じなのよね。
そして、「友達がすごくいいって言っていたので来ました」という人にたいしては私は、「お友達は何て言っていたの? お友達が言っていたことのなかで、あなたにやってみたいと思わせるようなことが何かあった?」と聞いてみるの。
つまり、私はいつも、その人がATのどこに惹かれたのかを見つけようとするの。
で、人は何らかの理由で来るんだけど、その理由はすぐに変わることも多いのよね。
ーたとえばどんなふうに変わるんですか?
ダンスをとおして知り合った人がレッスンに来たの。仕事を持ちながら、ダンスクラスをやっている人ね。彼女は毎週仕事帰りにレッスンに来て、数週間経ってこんなことを言ったの。「私はダンスの助けになると思って来たんです。そしてたしかに、ダンスの助けになったんだけれど、私がレッスンに来たかった一番の動機は、私が考えていたものとは違っていたんです。一番の理由は、自分のために時間をとるということだったんです。突然それに気がついたんだけれど、すごく変な感じですね、一時間オフをとって自分のために使うというのは、人生に新しい次元が加わったような感じです」。
ールシアのところには、とても長い間レッスンに来ている人もいると思うけれど、どんな人が長くレッスンに来ていますか?
私は1988年に教えはじめたので、それ以来ずっと来ている人がいれば、その人が一番長く来ているということになりますね。それくらいの期間レッスンを継続してはいるけれど、ずっと私のところでではなくて、以前ほかのところで学んでいて、その後私のところに来たというミュージシャンが何人かいますね。 一番長く私のところに来ている人としては、今はそれほどしょっちゅうは来ないけれど、ある年配の女の人がいるわね。彼女は今70代なんだけれど、もう
10年以上来ていますね。
ーその人はどうしてそんなに長い間レッスンを受けつづけているのかしら?
彼女の電話番号を教えましょうか(笑)。
実際、彼女の場合はおもしろいんだけれど、よくわからないのよね。たぶん私のことが好きなんだと思う(一同笑)。
いえ、いい感じの意味でね。音楽家の人たちのことについても考えているんだけれど、その人たちはもちろん学ぶことに興味を持ち続けているから来ているのだけれど、同時に、単にそこに行けば学ぶことをサポートしてくれる人がいるとわかっているから、ということもあると思う。そういうのってけっこういいものなのよね。ときには、何か学ばなくちゃ、というのはtoo
muchなときもある。べつに何も学ばなくてもいいのかもしれない。来るだけで十分なのかもしれない。
つまり、彼女が私のことが好きなのかも、と言ったのは、何かを思い出すための場所だったり、何か気分が転換できる場所だったり、サポートされる場所であったり、誰か気にかけてくれる人がいる場所であったり、ただそれだけのことなのかも、というような感じ。そうするとそれは、私自身が教師として何かをコントロールしなきゃというのを手放す助けにもなるのよね。そういうことは、若い人たちを教えるときにも必要なことね。たぶん私はその人たちがなぜ来ているのかはけしてわからないのかもしれない。それでいいんだと思う。もし私が何かを与えることができているのなら。もちろん、はっきりした動機があって長いこと来ている人たちもいるけれどね。
レッスンを受けることを止めたときに本当に進歩する人たちもいる(笑)。そして、少し経ってから「自分が本当にこれを必要なんだとわかった」と戻ってきたりするの。私自身もそうだった。教師養成のトレーニングを卒業したとき、そのときがはじまりだった。それ以前は「だれかが何か私に教えてくれるんだわ」という感じだったのが、卒業後は、「えー、私が自分でやらなくちゃいけないのね」という感じになった。それは大変だったけれど、わくわくすることでもあったのよね。
私、長くレッスンに来る理由は何かという質問に答えたかしら。そうね、その人たちがテクニックを実践したり、学んだりすることのサポートだと思う。 それと、比較的長く続けている私たちみんなもそうだと思うけれど、ATを学ぶことによって感受性と興味が育っていくから、そうすると、それにつれてもっと学びたいという気持ちも育ってしまうのよね。私のところにレッスンに来ているミュージシャンで、はじめは4レッスンだけ受けると言っていたのに、もう4年来ている人がいるよ。それもけっこうしょっちゅう、来られるときは毎週来ているんじゃないかな。
−アレクサンダーの原理は、「自分自身に戻る」というような考えとかみ合うと思いますか?
もう少し言ってくれる? 自分自身に戻るっていうのは、その人の自然な...
−そう、本来の自分。
私の母の言葉で言うと「もって生まれたもの」ね。母は、人は協調作用とか、よい使い方とか、そういうものをもって生まれてくるという意味で言っているわけだけれど。どうかしら。そうとも言えるし、そうではないとも言えるかしら。
私は、自分のトレーニングコースでされていた説明のされ方を、かならずしも信じてはいないの。私は子どものようになろうとしているわけではないと思う。そういう種類の自然さを求めているわけではないと思う。私が興味があるのは意識的でいること/自覚のほうだから。もちろんべつの意味で、無意識のなかの美しさというのは、すばらしいものだけれど、それは私が追い求めているものとは違うの。そして、人が
ATのレッスンにそれを求めて来ているとは思わない。求めているのは意識的でいることのほうだと思う。それはとても難しいことだからね。
でも、私が言おうとしていたのは、そう、本来の自分というのがどういう意味であっても、あきらかに
ATはそれを見つける一番いい方法のひとつだと思う。
"going back"というより"coming
back"ね。"going
back"と言うと、本来の自分はどこかしら、とむこうのほうに探しに行くみたいだけれど、そうではなくて、ここに戻ってくるという意味なら、そう思う。そのためにATは役立つと思う。 学び始めた頃は私はそうは思っていなかったのよ。実は、もし自分の癖を取り去ってしまったら、個性というものはなくなってしまうのではないかと、少し心配だったくらいなの。
ー私もそれは心配していました。
退屈な機械になってしまうんじゃないかってね。若者の心配よね。私たちは自分たちの「個性」にとても執着しているからね。でもわかったことは、どういう言葉を使ったらいいかわからないけれど、もっとはっきりと力強くその人が現われてくるということだった。そうね、それを本来の自己と言っていいと思う。よけいなものを取り去るにつれて、そこにもっとはっきりとした誰かが現われてくるのよね。
ー今日はおもしろいお話をたくさん聞かせてくださってありがとうございました。私何か聞き忘れたことはなかったかしら?
ほかの人たちも、何か私に聞いておきたいことない? 今私はあなた達みんなに、私が聞かれたのと全く同じ質問をしたい気持ちよ(笑)。でもこんなふうに質問されるのは、いい気分ではあるわよね、何か特別な人になった気分で、そして私は何でも言いたいことが言えるんだからね。普通の対話だと、「私はこう思うんだけど、あなたはどう?」と聞いたり、あるいはこちらが聞かなくても、「何ばかなこと言ってるの?」と相手に言われたり、普通はそんなふうに反応しあうでしょ(笑)。
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Photo
by Akihiro "Anchan" Tada |